10年前、 戦争に勝利し、この城は親父のモノとなった。 そして2年前、 親父は死に、俺は王となった。茨の王冠
「…聞いてるの?」 冷ややかな声に顔を上げれば、声同様に冷ややかな視線でヒバリが見ていた。 「…あ、悪ぃ。 聞いてなかった」 「…考えることがあるなら、態々僕のトコロになんて来なくていい。 僕が教えることなんて、もうないよ。 専門家に聞けばいい。その方が国のためだ」 切り捨てるように、ヒバリが言う。 ヒバリが言うように、 ずっと、自分のことより何よりも国のためを望んできた。 だって、奪ったのだ。 親父が王となったその戦争で、 ヒバリから、家族を、王子という地位を、城を、国土を、国民を、 何もかもを、奪ってしまった。 当時まだ4歳だった俺は理解していなかったけれど、 今もまだ、ヒバリと出会った時のことを忘れられない。 城を攻め落とし、 幾ばくか落ち着きを取り戻したところで親父が俺をここへと呼び寄せた。 数年前に既にお袋は亡くなっていて、 二人っきりの家族となっていたのに親父は忙しく、一人でつまらなくて、 でも、何処に行くにも付きまとう従者が煩わしくて、振り切って場内を探検していた。 出会ったのは、その時。 何か大きな音に好奇心剥き出しで走りよれば、 衛兵二人と引きずられるように連行される自分とそう変わらない子供がいた。 遠目にも、元は上等なモノだと解る服は薄汚れていて、 顔も手も土に汚れているのに、まだ子供でしかないのに、 自分の何倍もある衛兵を睨み上げていた。 その眼光は、衛兵も気おされるほどのモノだった。 それでも、すぐに我を取り戻したのか、衛兵が怒鳴る。 「お前、自分の立場を理解しているのかっ」 理解も何も、子供相手に言う言葉じゃない。 まだガキだった自分でさえそう思ったのに、子供は冷ややかに言い放つ。 「理解してるよ。 その上で言っている。 僕に、触るな。 連れて行きたい場所があるのなら、口で言えばいい。 処刑台でも何処でもついていく。 だから、僕には触るな」 冷ややかに睨みあげながら子供は言う。 当時、何を言っているのかまったく解らなかったけれど、 それでも、処刑台の意味は知っていたから、怒りのままに手を振り上げる衛兵に声を上げた。 「ダメだっ」 普段からよく通る声だと言われる声はよく響き渡り、 衛兵は、怒りのままに俺を見たけれど、すぐに誰かを理解し敬礼を取る。 それを無視して、傍まで走った。 「ダメだよ」 叩いては、ダメだ。 「でも…」 言いよどむ衛兵に、何度もダメだと繰り返した。 見かねたもう一人の衛兵が親父を連れてくるまで、それは繰り返された。 「どうした?」 聞きなれた声に顔を上げれば、親父がいた。 衛兵は最敬礼をしたまま、言葉を発しない。 だから、俺が状況を話した。 「この子、処刑台って言ってた。 連れてくの?どうして? それに、この人叩こうとしてたよ」 指をさして訴えれば、衛兵は青い顔になる。 それで状況を察したのか、親父は困ったような顔をした。 「復讐は、復讐しか生まない。 復讐のタネは残しておけねぇんだ」 だから、と言われても意味の解らない言葉は理解できなくて納得できるはずがない。 だって、処刑台と言ったら、処刑をするところで、 それは死を意味することはまだガキな自分も知っていた。 「でも、まだ俺と同じくらいだよ」 まだ子供なのだ。 戦争で多くの人が死ぬことは知っていたけれど、それは何処か遠い話だったし、 お袋のように病気で人が死ぬことも知っていたけれど、それもまた何処か遠い話だった。 大人の死は理解できても、自分と同じ子供の死は理解できなかった。 まっすぐに見る俺の目に、と言うよりも、 恐らく、子供を持つ親として、 自分の子供だけではなく子供と言うものに対する情に折れたのだろう。 親父は暫く黙ったまま考えた後に、言葉を発した。 「お前が、責任を取れるか」 その意味など、解らなかった。 だって、その時は知らなかったのだ。 ヒバリが、この国の王子だったってことを。 今、どれ程ヒバリにとって屈辱的な会話をしているかってことを。 だから、ただこの子供を助けられるのなら、と思って頷いた。 親父は、絶対に今の言葉を忘れるな、と言い、 それを隣で聞いていた子供は、押さえつけていた衛兵を振り払って、俺を殴った。 初めて感じる頬の衝撃。 慌てる衛兵、諦めたようなため息だけを零した親父。 パチパチと理解できず瞬きを繰り返す俺に、 もう一度、親父は同じ言葉を言った。 「責任を取れるのか」 確認するような言葉は、 やはり根底の意味など理解できなかったけれど、確かに頷いた。 それが、始まり。 俺よりひとつ年上だったヒバリは、俺の世話係兼教育係になった。 たった一歳の差しかなかったが、 ヒバリは帝王学を幼い頃から叩き込まれていたせいで俺より知識は多く、 その役割は見事に果たしてのけた。 けれど、それはたったの数年だった。 隙を見て脱走をはかることを繰り返すヒバリは、 城の片隅にあった、元は見張り台を兼ねていたこの塔に閉じ込められた。 そこは朽ちかけており、 近くに新しく見張り台を建てたことで、ヒバリの住処はここに移された。 扉が開けられるのは食事の時と、俺がこっそり遊びに行く時だけ。 ヒバリは心底嫌がっていたけれど、 俺からすれば難しすぎて意味をなさない本を持っていけば、 とりあえずは中に黙って入れてくれた。 本に集中して構ってくれなくても、 静かに本を読むヒバリを眺めていればそれだけで幸せだった。 何でもできるヒバリが好きだった。 大人びたヒバリに、憧れていた。 何も知らなかったあの頃が、一番幸せだったのかもしれない。 それから数年後、 自分の立場を、ヒバリの立場を正しく理解した。 何もかも奪った上に、 ヒバリに屈辱的なことを強いてると知った時、決意した。 ヒバリから奪ったこの国を、 いつか親父から引き継ぐであろうこの国を、 絶対に豊かな国にしてみせると。 何があっても、絶対に守ってみせると。 それが、自分にできる唯一の償いに思えた。 だから得意な剣術だけでなく、嫌いな勉強も頑張ったのに――… それを今、覆したい気持ちになっている。 「ヒバリ。 して欲しいこと、あるか?」 「できないことは口にしないで」 ヒバリは冷たく言い放つ。 何度も訊いてきた問いに対して、いつだって答えは同じ。 でも――… 「お前が望むなら、何だってする」 本当に、何だってする。 ここから出たい、と言うのなら、 例え俺の元からいなくなると解っていても出す。 死ね、と言うのなら、 ある程度まで国のことを整理できた上なら死んでもいい。 国を栄えさせろ、と言うのなら、 今以上に努力を惜しまない。 逆に、この国を滅ぼせ、と言っても、 今までの決意も民のことも何もかも忘れて、滅ぼそう。 お前が望むなら、何だってしてやる。 だから――… 「言えよ、何だって」 「…じゃあ、今すぐ帰って」 ため息と共に、扉を指差される。 絡む視線を逸らしたのは、ヒバリ。 いつだってこの押し問答の後、 ヒバリは、帰って、とだけ言う。 二度と来るな、ではなく、帰って、と。 その意味を、理解しているのだろうか。 けれどいつだって何も解らぬままに、俺は諦めに似た境地で扉を後にする。 石の螺旋階段を下る。 高い塔の最上階にいるヒバリの気配はもう遠い。 カツンカツンと歩く度に、高く音が木霊する。 立ち止まり、見えもしないくせに上を振り仰いだ。 何もかも奪った償いに、 何を投げ打ってでも、この国を豊かにしようと思った。 それを、生きる意味に定めた。 でも、国よりも、 ヒバリの望みを願ってしまった…。 自分よりも、民よりも、 誰よりもお前が幸せになるのなら、何だってしよう。 だから、望めよ。 …望んで、くれ。 俺がお前にしてやれることを教えてくれ。 何もかも投げ打ってでも、それを叶えるから。 だから、少しだけでいい。 少しだけでいいから、ちゃんと俺を見てくれよ。 親父の言葉が、脳裏に蘇る。 ――責任を取れるのか。 それは何と重い言葉だったのか。 今となって、改めて思い知る。 けれど、思い知った所で今更なのだ。 過去には戻れない。 戻ったところで、同じことをする自分が解っている。 だって、どうしようもない。 ――好きなんだ。 言えるはずのない言葉は、 唇がかたどっただけで音にならぬままに闇に消えた。 どうしようもない想いはそれだけでは足りず、 溢れ出す想いを押しとどめるように唇を噛み締めれば、口の中に鉄錆の味が苦く広がった。
08.07.25〜08.12 ← Back