道は、分かたれたのだ。 もう二度と、交わることはない。分かたれた道
ヒバリが、明日いなくなる。 ほんの数日の滞在。 珍しく仕事が重なった故の、数年ぶりの再会。 たった数年が、それほど近かったワケでもない距離を更にあけた。 俺は結婚し、 ヒバリはヒットマンとして名実共にこの世界のトップに立っている。 道を、間違ったかもしれない。 そんな下らないことを、考えてしまう。 これは、感傷だ。 感傷でしか、ない。 「呆れた。 こんな時間に一人で何をしてるかと思えば…」 早々にゲストルームに入っていったヒバリが、喉でも渇いたのかやってきた。 「いい酒だぜ。 お前も飲む?」 今回の仕事をするにあたり、 利便性のいい場所と気兼ねなく使えるということで、俺の別荘を使っていた。 だから、酒も好みのモノを置いてある。 俺にとってもヒバリにとっても。 「遠慮する」 ヒバリは、チラリとラベルを一瞥して眉をしかめながら、 ミネラルウォーターへと手を伸ばす。 ラベルには、 俺にとっては然程美味いと思うモノではないけれど、 ヒバリにとっては美味いと思うモノだと思い出したのかもしれない。 まだ、過去にするには遠くない記憶。 「お前は本当に愛想がねぇよな。 そんなトコもいいけどよ」 更なる感傷に耽りそうになるのを、苦笑で誤魔化す。 「あんまり飲みすぎると、奥さんが心配するんじゃないの?」 サラリと言われた言葉は、 ともすれば、嫌味に取れる言葉。 でも、今、そんなふうには聞こえなかった。 ただ――… 「何?」 「いや、 そういう回りくどい心配をしてくれるのも今日が最後だと思うと…」 今日が最後も何も、 もう二度とない可能性の方が高い。 俺と一緒の仕事なんて、ヒバリは嫌だっただろうに。 「…回りくどいって何?」 何を言ってるんだ、とでも言いたげに視線が強くなる。 「…明日。 本当に帰るのか?」 あぁ、もう。 その目さえも見ることは叶わなくなる。 「寂しい?」 勝気なような、哀れむような、 そんな酷く曖昧な笑みで問われた。 「あぁ」 だから、素直に答えた。 「奥さんがいるのに?」 「あぁ」 本気で求めた人間は、 妻ではなく、この目の前の男だった。 「帰ってほしくない?」 「あぁ」 どうして、 あの時、選択を間違えてしまったのだろう。 「…酔っ払いの戯言には付き合いきれないね」 少しだけ甘い雰囲気になっていたのに、 それを一掃するかのように、曖昧な笑みから冷たい視線に変えてヒバリが言った。 「お前な…」 それはちょっと、酷いんじゃないだろうか。 「…外、いい香りだね」 その話は終りだとでも言うように、 視線を外にやり、ヒバリが静かに呟いた。 「あぁ、月橘だ」 同じように、視線を外にやる。 暗くて見えないけれど、花が咲き乱れているのは昼間見て知っている。 「そう。 月橘なら葉を煎じると痛み止め、強壮剤、下痢に効くよ」 「…お前、もう少し可愛げのある会話はできねぇのかよ」 もっと、ほら。 こう何て言うかあるだろ、普通。 「それなら僕じゃなくて、可愛げのある子とすればいい」 何でもないことのように、 外に視線をやったまま、薄く笑みを乗せて笑う。 「――あぁ、いや。 お前がいい」 口調は静かに、 それでいて、何処までも真剣に告げた。 ヒバリが振り返り、視線が交わる。 「例え、可愛げなくて生意気で暴力的だったとしても、 俺はお前といる時が一番楽しいよ、ヒバリ」 「…本当に、口の減らない男だね」 嘘吐き、とでも言いたげに、 俯き半眼で少しだけヒバリは笑った。 何処か自嘲とも取れる笑みだった。 嘘じゃねぇんだけどな。 本当のことしか、言ってない。 でも、 過去とった行動は、それを裏切っている。 怖かった、と言えば、ヒバリは笑うだろうか。 あぁ、笑わないか。 ただ何も言わず、何の感情も見せず、じっと俺を見るだけだろう。 たった数年前のことなのに、若かった、としか言いようがない。 今になって、酷く後悔している。 ヒバリから逃げるように好きでもない女と結婚した。 俺も、その相手も、幸せになれるはずがない。 でも、そんな虚構をこれからも続けるのだろう。 だって、もう二度とヒバリは手に入らない。 一度裏切った人間など、見向きもしない。 それなら、虚構の上に立つ幸せを続ける。 裏切った代償に。 相手のことなど何も考えず、ただ自分の罪を自覚しながら。 道は、分かたれたのだ。 もう二度と、交わることはない。 引き返す過去など、何処にもありはしない。
08.06.30 あべ美幸:『八犬伝 東方八犬異聞』2巻パロ ← Back