誕生日だった。
うっかり忘れていたけれど、今日は誕生日だった。





君がいないと――





「おめでと…って今日だよね?」

不安そうに首を傾げるマネージャーに、慌てて頷く。

「あー、悪ぃ、忘れてた」

寝坊して朝練に遅れそうで、朝オヤジとも禄に話してなかったから。
そう言って笑えば、マネージャーも笑った。

「よかった。
 改めて、おめでとう。
 部内で一番早い15歳だよ」

中身はプロテインらしく、最後の夏のために体作りに励めと言われた。





最後の夏。
部活できるのはあと数ヶ月しかない。
それなのに、もうすでに燃え尽きている気分だ。
だって、もう――…








一日中、なんだかんだで呼び出されてはプレゼントを貰った。
中身は大半が食い物系と言うのは、何か意味があるのだろうか。
よく解らないけれど、授業の後しっかりと部活をこなした今の小腹が空いている状況には有難い。


藍色に染まった空の下、ガサガサとプレゼントで溢れた紙袋を漁る。
取り出したそれはクッキーで、悩んだ結果、物足りないと判断を下し元に戻す。
再度漁って、出てきたマフィンに口をつけた。
オレンジピールの苦味と甘みがちょうどいいバランス。
今度自分でも作ってみようかとぼんやり思っていれば、バス停のベンチにひとり座るヒバリがいた。






この春に卒業して並盛中からいなくなったヒバリ。
見慣れた学ランを肩にひっかけた姿ではなく、見慣れないグレーのブレザーを着ている。

疲れたのか目を閉じている姿が、
頼りなさを醸し出していれば可愛いものを、
凛とした雰囲気は誰も近寄らせないような硬質さを感じさせる。

目の前に立ってじっと見下ろせば、静かに視線を上げられた。
混ざり合った視線が交差する。

会いたくて、会いたくなかった人がここにいる。
浮かぶのは喜びではなく、苦笑。







「久しぶり」

声をかけても何の返答も返らないけど、そんなこと最初から期待していない。

「学校慣れたか?」

「楽しい?」

「また風紀委員…てか、裏で仕切ってんの?」

「…会いたかった」

問いでもないその呟きに、何故かヒバリは反応した。

「逆だろ?
 会いたくなかったんじゃないの?」

口の端を僅かに上げてヒバリが笑う。
何もかも、お見通しなヒバリ。

「…そうだな」

でも、会いたいと思っていたのは全部が全部嘘じゃない。
会いたくて、会いたくなかっただけなのだ。
根本に、会いたいという気持ちはあったのは確か。






「座っていいか?」

問えば、勝手にすれば、って言うから、勝手に隣に座った。
でも、もう何も言葉が出てこない。

言いたいことも訊きたいこともあったはずなのに、今はもう何も思い浮かばない。

「…それ、どうにかしたら?」

沈黙の後にヒバリが口を開いたけれど、意味が解らなかった。

「え?」

「それ」

視線を追えば自分の右手で、その中には食べかけのマフィンが残ったまま。
どうにもすっかり存在を忘れていた。
今更元に戻すのも気が引けて、
とりあえず一口齧っただけのそれを食べてしまおうと手を動かしたところで止めた。


「えーっと、食う?」

返事はなく、ただ嫌そうに眉間の皺が寄せられた。

「あ、食いかけじゃアレだよな。
 食いかけじゃないのもあるしクッキーとかパウンドケーキ?とか他にもあるけど」

空いた手でガサガサと紙袋を漁りながら言ったら、
呆れたように、いらない、と言われてしまった。
自分だけ食べるのがどうにも申し訳なく、さっさと手に持っていたマフィンを食べ終える。
が、食べ終えたところで会話がない。
気まずいと思っていたら、ヒバリがじっと訝るように紙袋を見ていることに気づいた。






「今日、誕生日だったんだよ。
 で、なんかいろいろ貰ったんだけど、ほとんど食い物なんだよな」

有難いけど何だろうな、なんて笑うと、じっと俺を見てくるヒバリの目と視線があった。

キレイなキレイな黒い目は、
湖の底のように深すぎて、いつだって何を考えているか解らない。

「ヒバリ?」

「君、誕生日なの?」

「あ、あぁ。
 だから、ヒバリからも何かくれねぇ?」

じっと見つめてくるヒバリに居たたまれなくって、冗談まじりに言った。


「何が欲しい?」

冷たい視線が返ってくるだけだろうと思っていたら、意外な言葉が返ってきた。

「ヒバリ?」

「別にやるとは言ってないよ。
 訊くだけ訊いてやろうと思ったけど、ないなら別にいい」

そう言って、視線をチラリと時計に移す。
バスがあとどれくらいで来るのかは知らないけれど、あまり時間は残されてはいないのかもしれない。

そんなことは冷静に考えられるのに、
ヒバリに何を言っていいのか解らず忙しなく頭は収拾のつかない思考を繰り返す。






会いたい、毎日、会いたい。

会いたいけど会いたくないと思っていたくせに、
望むモノは何かと言われてすぐに思い浮かんだのはそれだった。
会ってしまえば止め処なく望むようになると、どこかで知っていたのかもしれない。

でも、これは無理だ。
もう同じ学校じゃないんだ。
授業が終わる時間も違うし、都合もつけにくい。


他は――と思っていろいろ考えても、
結局は、会いたい、と言うそれだけだった。






「時間切れ」

ヒバリが立ち上がる。
視線を上げれば、バスが近づいているのが見えた。

ゆっくりと歩を進めるヒバリ。
置いていかれる、無性にそう思った。

「ヒバリ」

焦燥に駆られ、呼び止める。
振り返ったヒバリに、言葉を続ける。


「ヒバリの誕生日に会いたい」

ヒバリの誕生日が、子どもの日なのは知っていた。
知ったとき、似合わないようで似合っていると思ったのを覚えている。

ヒバリは何かを考えるように眉を寄せたけれど、それは一瞬でまたいつもの無表情へと戻った。

「…ダメか?」

恐る恐る訊けば、わかった、とヒバリは答えてくれた。

ほんの数歩さえ離れているのさえもどかしく、
傍に行くために立とうとしたところで、バスが来てしまった。

振り返ることなく、ヒバリはバスのタラップへと足をかける。
その背中に言った。

「朝10時に迎えに行くから」

ヒバリは答えてはくれなかったけれど、
嫌なら嫌とハッキリ言うだろうから勝手に了承と取った。











最後の夏に向けてのGW。
部活に集中しなければならないだろうことは解っていたけれど、
ヒバリとの勝手に取り付けた約束を優先する。

ヒバリがいなければ、何も始まらない。
たかだかほんの数分会って話しただけでも、やる気が出てくる。

もう、燃え尽きた、なんて思えない。
まだまだやれる、そう思った。



たぶん、大丈夫。
理由を言うつもりはないが、部活の皆も許してくれる。
その日一日さえサボらせてくれたなら、あとは真面目に部活に励むから。
不味いけど、とにやりと笑って付け加えられたマネージャーからのプロテインもちゃんと飲むから。

だから、何があっても全力でヒバリの誕生日は部活を休ませてもらおう。

さしずめ後は、その日に急に練習試合が入らないことを祈ろうか。
ま、練習試合になったところで、休むのは必至だけどな。






07.04.23 君がいないと、何も始まらない。
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