甘い香りが、充満する。 胸焼けを引き起こしそうになる原因を前に、嬉しそうに笑う男がひとり。 Untrustworthy man. 「…ねぇ、どうしてここにいるの?」 ここは応接室。 つまり、僕の部屋であって、男がいていい場所ではない。 「まー、いいじゃねぇか」 男は僕の問いかけにどうでもよさそうに答え、 嬉々としてキレイにラッピングされた箱を開けていく。 その度に、広がる甘い香り。 「…嫌いなんだけど」 「チョコが?美味いのに?」 心底解らない、と男が首を傾げる。 そんな男こそ、僕は解らない。 「全部。 甘ったるいチョコレートも、 それを渡すと言う下らない今日も、 全部、嫌いだよ」 煩わしいこと、この上ない。 チラリチラリと見てくる視線だとか、 騒がしい声だとか、妙に浮き足立った雰囲気は嫌いだ。 風紀が乱れる。 「そっか?俺は好きだけど」 言いながら、また新しい箱を開けていく。 「年に一度のオンナの子が告白する日。 勇気いる行為に敬意を示すのが男ってもんだろ?」 言っている意味が解らない。 別に、今日に限らず告白したいヤツはしている。 あからさまな日を選んでまですることか、と言いたくもなる。 「ヒバリには、解らないかもな」 少し諦めたように笑う男に苛立ちを覚える。 「君には解るって言うの?」 「いや、全く」 男は悪びれもせずに笑う。 「ただ、一生懸命誰かを思うってのが凄ぇなぁと。 こんな日にかこつけてじゃなきゃ渡せないヤツもいるってことだろ? だったら、その勇気にやっぱり敬意を払わなきゃいけないって思うわけだよ」 「敬意を払う、ってさっきから君は言うけど、 渡される片っ端から受け取って、それで敬意を払うて言うの?」 それこそ、失礼に値しないのか。 「片っ端からって…」 呆れたように、男が呟いた。 「違うの?」 それなりの量がテーブルの上に乗せられている。 これでも、断った結果なのだろうか。 「違うよ。 ちゃんと気持ちには応えられないって言った上で、 それでも、って言ってきた分だよ」 「ふーん」 「案外、誠実だろ?」 そう言って男は言うけれど、果たしてそれはどうなのか。 人の気持ちなんて、よく解らないから考えたところで答えはでなかった。 「それ、全部食べる気?」 「勿論」 誠実だから、と男は笑う。 「手作りも?」 勿論、とまた男は笑う。 「気持ち悪くないの?」 何が入ってるか解らない。 嘘か本当か知らないが、 髪の毛が入ってたり、怪しげな薬が入ってる可能性もあるらしいと聞く。 「何が入ってても、所詮中学生が手に入れるモノだろ? 最悪、腹下す程度だから食うよ。 誠実だろ?」 「さぁね」 男の言う誠実が、よく解らない。 気のない返事をすれば、あぁ、でも、と男は口を開いた。 「何?」 ニヤリと笑いながら、 思わせぶりな視線を向けてくるから、癪だったけれど、一応聞いてやる。 「ヒバリが作ってくれるなら、喰うぜ」 例え毒入りだったとしても、と男が笑う。 「僕が君に渡す理由が見当たらないんだけど?」 「そっか? でも、本当にヒバリがくれるなら、何でも喰うよ」 「あの毒蠍が作ったモノでも?」 どういった理由かは知らないけれど、 作るモノ作るモノが、見た目からして禍々しく、 味も内容も毒でしかないモノを作り出す女が作ったモノでも、 僕が渡せばこの男は食べるのだろうか。 興味と言えるほど興味があったワケでもないが、多少なりとも表情に変化を齎すかと思って訊いた。 「喰うよ」 何処まで本気か知らないが、ニッコリと笑って男は答えた。 「ちゃんとそこにヒバリの気持ちがある、っていう条件付きだったらだけどな」 あぁ、そういう理由か。 それなら、一生無理だろう。 どう考えても、僕の気持ちがあるモノを男に渡すことが想像できない。 毒蠍の作ったモノを食べる男が見たかったが、どうやら一生見ることはできないらしい。 それが解れば、興味は失せた。 男に構う理由もない。 男の存在を無視するためにも、主張の激しい匂いをかき消すために窓を開けた。 冷ややかな風が室内に入り込むが、澱みかけていた空気を一層させる冷気は気持ちがいい。 匂いがすべて消え去ったら、仕事をしよう。 男の存在など忘れて。 構わなくなれば、男も勝手に消えるだろう。 「ヒバリ」 振り向けば、男はテーブルの上を片付け立っていた。 待つまでもなく、帰ってくれるらしい。 「日本ではオンナの子が告白する日だけど、外国では違うからな。 これ、やるよ」 投げて寄越されたのは、チロルチョコの詰め合わせ。 言っている言葉と、投げ渡されたモノが噛み合わない。 「何?」 「日頃の感謝と愛を込めて」 ますます持って解らない。 「俺はヒバリがくれるなら、例え毒入りチョコでもいいって思う。 でも、ヒバリは俺から手作りのモノ貰っても、どうせ喰ってくれねぇだろ? それに甘いモノ嫌いみたいだし、少しずつバリエーション変えて楽しめるお手ごろサイズにしてみました」 誠実だろ、と使い方を間違ってるとしか思えない言葉を吐き出して男が笑う。 「…随分、安く見られたものだね」 何をどう言っても伝わりそうもなくて、ただそれだけを伝えた。 「愛は詰まってるから、許せよ」 それこそがいらない、と言うのに。 「なぁ、ヒバリ。 いつか、毒入りでもいいからチョコくれると俺は嬉しい」 例え死んでも本望だ、とワケの解らない捨て台詞を吐き出して男は出て行った。 だから、男は誠実ではないのだ。 気持ち入りのモノなら毒入りでも欲しいと言うけれど、 性格上、半端な毒など入れないで作ったモノを渡して男が食べれば確実に死ぬだろう。 死んだら、残された気持ちはどうなるのか。 馬鹿馬鹿しい、と思いながらも、そう思わずにはいられなかった。 あの男に誠実さなど何処にもない。 身勝手な感情があるだけだ。 渡されたチョコをひとつ口に放り込めば、甘さが広がった。 けれど、胸に広がるのは忌々しさ。 それを押し留めるように飲んだコーヒーは冷え切っていて、 苦さだけを伝えたが、冷静さを呼び戻す。 僕は、あの不誠実な男に何も与えない。 だから、何もあの男の言葉に振り回されることもない。 それだけのことだった。 そう思うのに、一度は納まったはずの忌々しさが湧き上がるのを感じていた。
07.02.14 ← Back