欲しいモノは何でも手に入った。 おかげで、何が欲しいのかさえも解らない。 執着? そんなモノは知らない。 それなのに今、足を止めて小汚い子どもを見ている。Rosso.
動かない子どもは、生きているのか死んでいるのかさえも解らない。 男なのか女なのかも解らない。 見えるのは、薄汚れやせ細った手足と小さな後頭部だけ。 そんな姿の何に興味を引かれたのか、自分でも解らない。 それでも、馬鹿みたいに足を止め見下ろしている。 ふいに、小さな頭が上がる。 現れたのは、埃や泥で薄汚れた顔。 けれど、その中にある強い瞳。 その瞳が、俺を捕らえて離さない。 「何? 見るからにボンボンが、僕に何のようなのさ? 施しならいらないよ、そこまで落ちぶれちゃいない」 ガリガリにやせ細り、 動くのさえままならなそうなくせに、そんな言葉を吐き出す。 しかも、それが強がりに見えないから不思議で、 見た目と相反した強さが、この子どもにはあった。 「施しなんて、やらねぇよ。 逆に俺が施されたいくらいだ」 気が付けば、そんな言葉を吐き出していた。 子どもは不快な気持ちを顕わにし、俺を睨み上げてくる。 相変わらず、眼光が強い瞳。 生を感じさせる瞳。 「生きる、って何だ?」 何を訊いてるのか、と自分でも思う。 それでも、訊くことを止められなかった。 子どもはますます不快だと言いたげに、 眉間に皺を寄せ睨み上げてきたが、引く様子を見せない俺に言葉をくれた。 「愚問だね。 生きるために、生きているんじゃない。 死ぬつもりがないから、ただ生きてるだけだ」 それがどうした、と言わんばかりに、 言い切る姿は潔く、違いない、と俺は笑った。 「なぁ、お前。 何かに、執着してるか?」 脈絡もなく訊けば、子どもは嫌そうに口を開く。 「ねぇ、さっきから何なの? 暇つぶしなら、他を当たりなよ。 邪魔だから」 「俺さ、執着って解らなかったんだよ。 でも今、解った気がする。 お前に執着してる」 子どもの言葉を無視して続ければ、子どもは苛立たしげに舌打ちをした。 俺がいなくならないのなら、 自分からさっさと立ち去りたいだろうに、動く力は残っていないらしい。 だから、せめてもと言うのか、 ただでさえ鋭い眼光を強め射殺さんばかりに睨み上げてくる。 「変態。 執着するモノがなければ、死ねばいい。 僕は少なくとも、生に執着してる。 生にすら、執着できないなら死ねばいい」 死ねるものなら死ね、と言い放つ。 「…生に執着か」 呟いた言葉が空々しいのは、恵まれた者だからだ。 餓えなんて知らない。 物質的には、いつも満たされていた。 死は、何処か遠い話でしかなかった。 生なんて、執着するしないの対象になることさえ気づかなかった。 睨み上げてくる瞳は、どこまでも強く揺ぎない。 見惚れると言うより、魅入ってしまうほどに。 だから。 「生に執着するのは、よく解らない。 けどな、やっぱ、俺はお前に執着してるよ」 正しくは、その瞳に。 「変態」 もう一度、子どもは吐き捨てた。 何を言われようと、何も感じない。 ただ、その強い瞳さえ見れればいいと思った。 だからと言って、この瞳だけを抉り出したいワケではない。 この子どもの精神のもとにある、この強い瞳に執着しているのだ。 あぁ、これでは変態と言われても否定できねぇな。 「変態でも、何でもいい。 なぁ、一緒に来ねぇ? 代わりに、何でも望むことをしてやるから」 本当に、どっかの変態親父を彷彿させる言葉を言っている。 それでも、欲しいのだから仕方がない。 初めて知る執着は、危険な思考の上に甘い誘惑で成り立っていた。 「じゃあ、消えて。 僕の目の前から消えて」 それが叶うのなら、他はいらないって? こんなチャンスはもうないだろうに? 「何でも欲しいモノを与えられるぜ? やりたいこともやらせてやる。 だから、来いよ」 「ちゃんと聞いてよ。 消えて、って言ったんだ。 さっきも言ったけどね、人に施されるほど落ちちゃいない」 苛立たしげに、吐き出される言葉。 「俺も言ったよな? 俺のほうが施されたいくらいだ、って」 だから何だ、と強い視線が見上げてくる。 「執着、が知りたい。 生きることに、今更 執着する気もできる気もしねぇ。 それでも、お前になら執着できると思うんだ」 だから執着させてくれ、と、 本当に変態のようだと思いながら、 それが本音だから仕方がないと諦めて、何処か乞うように言った。 「…自分が言ってる言葉が、どれだけ傲慢か解ってる?」 瞳の強さは変わらず、 ただその瞳が持つ温度だけが低く下がったような視線が向けられる。 そんなことは解っている。 餓えも、生きて行くことへの不安も知らない。 今更それらを知ったところで、 足掻くワケでもなくただ受け入れ、のたれ死ぬだろうことが簡単に想像できる。 生に執着する理由が解らない。 それほどまでに、必死に生きることなんて考えたことがない。 そんな環境にいなかっただけなのか、 単にもともとの性質がそんなものなのか知らないが。 「…解ってるさ」 思わず自嘲的な声が出てしまえば、ますます冷え切った視線が向けられる。 「…恐らく、あなたが思ってるであろうことに対しても傲慢だと思ってるけどね、 僕が言っているのは、来い、と言うその態度だよ。 執着したい相手に、何を上から目線をしてるのさ。 それって、執着じゃないよ。 単なる、珍しい玩具が欲しいと言う子どもの我侭でしかない。 そんな場合はね、早々に飽きたら捨てるんだよ。 そんな安易な対象に、僕になれとでも言うの?」 言っている内容は解るが、 お前も多少傲慢じゃないのか、と思わなくもない言葉でもあった。 そんな言葉を吐き出す子どもが、おかしかった。 笑い出した俺に、子どもは視線の温度を変えた。 絶対零度の視線が、熱を持つ。 笑ったのは、馬鹿にしたからじゃない。 落ちた、と思ったからだ。 先ほどまでの執着だと思っていた感情が、 言われたように、子どもの我侭でしかないモノと違わないと気づいたからだ。 それも、気づかせた子どもに対する感情が変化することによって。 欲しい、と思った。 何をどうやってしても、この子どもが欲しい、と。 それが、執着。 これを執着でないと言うのなら、そんなモノをもう求める気はもうない。 「訂正するよ。 お前の意見なんて、どうでもいい。 ただ、欲しいだけだ」 先ほどまで執着させろと変態じみたことを乞うていた俺が言い放った言葉に、 初めて子どもが睨み上げるではなく、目を眇める。 気づかせたのは、お前だ。 だから、責任を取れ、とは言わない。 けれど、諦めろ、と胸の内で笑った。
07.12.11〜 ← Back