1年と3ヶ月、ヒバリに会っていない。

俺と違ってファミリーに属さず、
殺し屋としてだけの契約を交わしているだけのヒバリは、
ふらりと仕事を引き受けては、ふらりと姿を消す。

それでも、数ヶ月に一度は会えていた。
会うことを、許されていた。

それなのに1年と数ヶ月、連絡が取れなかった。





Pantera nera.





今ならホテルにいるとリボーンから聞いて、まだ逃げないでくれよと走った。
ファミリー御用達のホテルの支配人は、俺の顔を見て恭しく頭を下げる。

ヒバリが毎回泊まる部屋は決まっていて、その部屋の番号を告げると苦笑された。
責任は自分が取るから、と幹部という自分の立場を利用し、無理を言って何度、鍵を借りただろう。

許されるはずのない行為。
それでも、一度たりともヒバリはそれを怒らなかったから、今は苦笑とともに渡されるだけ。


それも、1年と3ヶ月ぶり。





「ヒバリ」

扉を開けながら、叫んだ。
鍵がかかっていたということはまだ部屋にいるということで、知らず心臓が早鐘を打つ。

ダイニングを通り過ぎてリビングに。
最後の扉を開けて、久しぶりに見るヒバリに駆け寄ろうとしたところで足が止まる。

「何だ、それ?」

感動も嬉しさもあったもんじゃなく、
ソファに座るヒバリの足元の黒い物体に息を呑む。



「見て解らないの?」

再会をものともせず、ヒバリはあっさりと言い放ち、足元の黒い物体を撫ぜる。

グルグルと喉を鳴らす黒い物体。
それは、どう見ても――

「…黒ヒョウ?」

「何だ、解ってるじゃない」

そこ笑うとこじゃねぇだろう。
そう思うほどに、あまり見せてはくれない笑顔を見せる。
勿論、俺にではなく、黒ヒョウに。

「それって、飼っていいのか?」

一応猛獣になるのではないかというそれは、一般人が飼っていいのか謎だ。

「それどういう意味?」

「いや、ほら法律的に…」

「君、バカ?
 僕が、法律なんだよ」

不敵に笑うヒバリ。

…えぇ、えぇ、そうでしたね。
中学の時も、ヒバリが法律であり秩序だった。




「ヒバリが買ったのか?」

動物が好きだとは知っていたけれど、飼うとは思えなかった。
10年間傍にいても、そういったそぶりを見せたこともなかった。

「…いや、貰ったんだよ。
 僕に似合うからって」

一瞬の間が何を意味するのか。
考えるまでもなく、相手はリボーンだろう。

ヒバリが何かを素直に受け取る相手は、リボーンくらいしかいない。
俺からでさえ、たまにしか受け取ってくれない。

そのことに、今更ながらショックを受ける。



「名前、何て言うんだ?」

「…」

リボーン、と言われたらどうしよう、
と訊いた後に思ったけれど、返ってきたのは沈黙。

リボーンならリボーンだと、ヒバリは答える。
ヒバリは、そんな遠慮をしない。
それなら、何で?

「まさか、タケ――…」

「武でも、山本でもないことは確かだよ」

言いかけた言葉を遮って、ヒバリが答える。
淡い期待は、脆くも消えた。

「じゃあ、何?
 教えてくれてもいいんじゃね?」

「教える必要などないよ」

ぴしゃりと言われれば、もう何も言えない。
それなら、訊きたかったことを訊けばいい。





「1年と3ヶ月、俺は寂しかった。
 ヒバリは?」

「…」

ヒバリは、また答えてくれない。
足元の黒ヒョウを撫ぜるだけ。

「ヒバリ、俺バカだから解んねぇよ。
 待ち続けるしか知らない。
 迷惑なら、逃げるな。
 一言、言えばいい」

二度と会いたくない、と。
たった一言、それさえ言われれば、もう二度と近づかない。
戦闘場面で会うかもしれないが、それだけだ。

もう構わない。

10年傍にいて、会いたくない、とは数え切れないほど言われた。
けれど、二度と会いたくない、は一度として言われなかった。

きっと、それが最終通告なのだと、互いに知っていたから。



どんなに待っても、ヒバリは何も言わなかった。
俯き長い前髪で表情を隠し、黒ヒョウを撫ぜるだけ。

沈黙が、答えなのだろうか。

話したくない時、ヒバリは沈黙した。
自分で考えろという時も、ヒバリは沈黙した。

なぁ、この沈黙はどっちだよ。

俺は、言われなければ解らないと言った。
その上での沈黙ならば、これは話もしたくないのかもしれない。

あぁ、終わるんだ。
ヒバリの声さえ、聞かせてもらうことなく。

なんて、惨めなんだろうな。


振り返れば、
先ほど勢いよく開けた扉は、中途半端に開いたまま。

道が、そこにしかないように思えた。
もう足掻きようがないのかもしれない。





――ヒバリ

俺でない声が聞こえた。
聞きたかった声で、ヒバリ、と言った。

「え?何?」

振り返っても、変らず同じ光景があるだけ。
ヒバリは俯いたまま、黒ヒョウを撫ぜる。

「ヒバリ?」

呼べば、やっと顔を上げられる。
何処までも真っ直ぐな目。
感情を読み取らさない目。

「ヒバリ」

もう一度、ヒバリが言えば、
黒ヒョウが身体を起し、期待に満ちた目でヒバリを見つめる。



「名前?」

「そうだよ」

「何で…?」

何で、ヒバリ?
何で、自分の名前?

「思いつかなかったから」

何処までも真っ直ぐな目で、
何処までも残酷な言葉を吐き出す。

「俺の名前でもいいんじゃね?
 って、お前にとって、俺はそんな存在にはなれてない?」

「…いいの?」

ヒバリは、ワケの解らない問いで返す。



「何?」

「僕は一度たりとも、君の名前を呼んだことはないよ」

言われるまでもなく、ねぇな。
呼んでくれと言っても、鼻で笑われるか、黙殺されるか。
そのどっちかだ。

それなのに、高々1年しか傍にいない黒ヒョウが、
俺の名前をつけられて可愛がられる。
…それは、ある意味許しがたい嫉妬を感じる気がする。

「…それは、ちょっと勘弁かな。
 でも、それにしても、自分の名前かよ?」

「僕は、動物が好きだよ」

「知ってる」

人間を殺すことに躊躇ないヒバリだけれど、動物に対しては違った。
顔には出さないけれど、そこに一瞬の躊躇があることを知ってる。



「僕は、知りたかった」

「何を?」

「君が、どんなふうに僕の名前を呼んでいるのか」

言葉が、脳に伝わるまで時間がかかる。

「えっと…コクハク?」

信じられない言葉を聞いた気がして、
茶化してしまったけれど、ヒバリの表情は変らない。

「かもね」

信じられない言葉を、再び聞いた。
自然に、足が歩き出す。

目の前に立てば、黒ヒョウが僅かに目を眇める。
最愛なる飼い主に近づけていいものか、判断している。
けれど、その飼い主であるヒバリは俺を咎めないから、黒ヒョウはただ俺をじっと見ているだけ。


「寂しかった?」

答えてくれなかった問いを、再び繰り返す。

「…まさか。
 僕には、ヒバリがいたから」

そう言って、黒ヒョウをそっと抱きしめる。

「名前を呼んで、俺の気持ちが解ってくれた?」

「……」

ヒバリは答えることなく、黒ヒョウを抱きしめる腕を強める。
それが、答えの気がした。

黒ヒョウを抱きしめるヒバリの手をはずし、自分の首に絡める。




「なぁ、俺、言葉はもういらねぇわ。
 ヒバリがいてくれればいい。
 だから、もうお前も逃げんなよ」

それでも、ヒバリは何も言わなかった。
けれど、絡めた腕の力が強くなった。


言葉はいらない。
ただ、沈黙と不可解な行動を、以前より理解しようと思った。

案外、愛されていることを知ったから。






06.05.05〜05.07 Back