空は、澄み切った冬の空のような青さだった。 だから、 いつもは抱きしめるように眠る屋上のコンクリートに、背を預け寝転がった。 Drown. 学校は誰もいない。 生徒はおろか、教師さえもいない。 そのせいで、静かすぎて耳を塞ぎたくなるけれど、耳を塞ぐはずの手を空へと伸ばした。 雲ひとつない空に手を伸ばして、何を手にしようと言うのか。 そんなことさえも解らないままに、手を伸ばす。 真っ青な空と、そこに浮かんだ手。 まるで空に溺れ、沈み込んでいくような感覚に目を閉じた。 感じた気配も気にも留めず、 ただ溺れる感覚を払拭することだけを強く考える。 伸ばした手に、硬い感触を感じたのはその直後。 目を開ければ、 空と同じように底抜けに明るい笑顔の男と、 男が乗せたであろう小さな箱が手のひらにあった。 「何のつもり?」 訊けば、晴れたな、と男は笑った。 「ねぇ、僕の話を聞いてる? 何のつもり、って訊いたんだけど」 「来るって言ったろ」 そう言って空を見上げ、見事に晴れたな、とまた笑う。 その顔に何を言っても無駄だと判断して、 伸ばしていた手を下ろせば、忘れていた感覚を思い出した。 手のひらの中には、小さな箱。 「いらない」 箱を突き出し言ったところで、 男は、プレゼントだから貰ってくれ、と言う。 「親のすねかじりが何を言うの? 自分で稼ぐようになってから、そういうことは言うんだね」 他人の稼ぎで、人にプレゼントしようだなんてその神経が解らない。 「ん? ちゃんと俺の稼ぎだぜ?」 「バイトは校則で禁止」 よほどの事でなければ、中学生でバイトなんて認められるワケがない。 だからこそ、言ってやった言葉だった。 「バイトってか、家の手伝い。 それでも、俺の労働の報奨だろ? だから、プレゼント貰ってくれるよな」 ニッと笑うその顔に、何を言っても無駄だと思い知る。 もうどうでもいい。 開けて下らないモノだったら、突き返せばいいだけ。 小さな箱を包むキレイなリボンも包装紙も、 無残にも破り捨てて開けた箱から出たのは、紙切れ1枚。 空に翳した紙には、11桁の数字。 「俺の携帯番号」 「…っ」 下らなさに、言葉もなくす。 「かけてくれなくてもいい。 ただ、持ってて」 そういう顔はもう笑ってはおらず、真剣。 「下らない」 「下らなくてもいいから」 な、と今度は力なく笑われた。 もう本当に―― 「何のつもり?」 「自己満足…かな?」 違ったらいいんだけど、きっとそうでしかないから、と小さく男は続けた。 「いらない」 翳していた紙を箱の中にしまい込み、それを男に投げた。 慌てることなく男はそれをキャッチして、どうしても、と問う。 捨てられた犬みたいな目だった。 けれどそんなことはどうでもよく、どうしても、と同じ言葉を返す。 ギュっと箱を握り締める男の手が、視界に入る。 それすらも、どうでもいい。 沈黙の後、男がゆっくりと諦めに似た溜息を吐き出した。 それから、小さく呟く声。 「…溺れそうだな」 視線を上げれば、空を見上げる男。 箱を持っていない手を、空へと伸ばしていた。 「最高だろ?」 気が付けば、そんなことを言っていた。 澄み切った空に、同じ思いを抱いた男。 しかも、そんなことを思い浮かぶような男ではないのに。 たったそれだけのことが、何かを僕にもたらした。 不思議そうに振り返る男に、もう一度、いらない、と言った。 「解ったって」 苦笑しながらも、まだ空に手を伸ばし、見上げる男。 そんな男を視界の端に移しながら、僕もまた手を伸ばす。 「もう覚えたからね」 何の共通性もない数字。 それでもたかだか11桁。 すぐ見れば、覚えられる。 かけるか、と言えばそれは、 否、でしかないけれど、 それでも気持ちだけは受け取ってやろうと思った。 この空を見て、溺れそう、と言ったその重なった感覚に。
07.05.05 ← Back