解ることは、ただひとつ。 ――距離を置かれることが、嫌だということ。 離れたい、解放して欲しい、と思い続けていたくせに、胸の奥底に眠る思いはそれだった。 Each happiness of the black dog and me. 「…勝手に…殺すな」 油断すれば漏れ出そうになる嗚咽を噛み締め、呟いた。 「…歳を考えろ。 俺よりアンタのほうが、先にくたばるんだよ。 だから…アンタは無駄なことを考えるな」 「…シンちゃんは?」 マジックが、寂しげに笑う気配が伝わる。 「シンちゃんは、パパの死を受け止められる?」 言葉が、詰まる。 受け止められるのだろうか。 想像もつかないけれど、マジックが死んだらそれを受け止められるのだろうか。 言いよどめば、マジックがまた笑う。 「ね、距離を置いたほうが死ぬまで夢が見られて、幸せだと思わないかい? 別に、ずっと会わないワケじゃないよ。 月に数回会うだけでも、今までと比べたら全然違うと思うからね」 月に数回。 きっと、何てことのない回数。 下らぬ喧嘩などせずに、その時間を大切に過ごせるだろう。 けれど、嫌なのだ。 正直、何度も解放してくれと願った。 けれどそれ以上に、離れることが嫌だと知った。 いつか必ず来るマジックの死と向き合えるかなんて、解らない。 その時になってみないと、解らない。 「…距離を置きたいなら、置けばいい」 覚悟を決めて言い放てば、マジックが笑う。 それは安堵のためか、苦笑のためか。 「でも、俺は会いに行くからな。 何処に行こうが、俺は会いに行く」 その言葉に、マジックが笑う。 はっきりと、苦笑と取れる笑みで。 「…シンちゃん、それじゃいつもと反対だね。 それ、パパの台詞だよ」 「だったら、アンタが言えよ」 縋りつくように、抱きしめるようにしていた腕を解き、マジックを見据えた。 マジックは驚いたように目を見開いたが、笑った。 「やっぱり、シンちゃんには適わないね」 そう言うと、クシャリと髪を撫でられた。 子ども扱いするな、と言いたかったけれど、泣いているように笑うマジックに何も言えなかった。 いつの間にか、空は深い藍へと色を変えていた。 そんな中、ふたりで穴を掘る。 年中色とりどりの花に囲まれる場所に。 大きな身体を静かに横たえる。 「…なぁ、何で犬飼ってたこと黙ってたんだよ」 「…何となく、ね」 ずっと疑問に思っていたことを思い切って訊いたのに、マジックは笑って誤魔化す。 深く訊きたいと思うけれど、訊いてはいけない雰囲気がそこにあった。 触れてはならない、と思った。 それ以上言葉は出てきてはくれず、犬の身体をふたり無言で埋めた。 その上に、マジックが急遽頼んだと言う十字架を置く。 ふと見やった、それには名が刻まれていなかった。 時間がなかったとはいえ、十字架は華美ではないが安物ではない。 そんな中、名前くらい入れる時間的余裕もあっただろうに。 じっと十字架を見つめていることに気づいたのか、マジックが苦笑する。 「名前、ないんだよ」 何を言っている? 何年も飼っていたくせに? 死んだことを哀しむほどに大切にしていたくせに? 疑問が浮かぶが、どれから訊けばいいのか解らない。 それに気づいたのか、マジックが十字架を指でなぞりながら静かに告げてくる。 「…『シンタロー』にしようかと思ったんだけどね。 呼べなかったんだよ。 シンちゃんの代わりだったけど、それだとシンちゃんにもこの子にも失礼で…。 気がつけば、名前をつけないままに逝かれてしまったよ」 「…馬鹿だな」 今日初めて、言葉にならなかった思いが言葉になって出た。 そして、納得する。 あぁ、コイツは馬鹿だった。 何を今更、思い知っているのだろう。 「馬鹿だな」 もう一度呟けばマジックは苦笑し、ゆっくりと目を閉じた。 「幸せの形は、様々だね」 訥々と語られる言葉に、ただ頷いて返す。 「私とこの子の間では、この関係が一番幸せだったと思うんだよ。 …まあ、身勝手な私の意見だけどね。 でもこの関係がシンちゃんに当てはまるかと言えば、そうじゃない」 ゆっくりと閉じられていた目が開かれ、自分の姿が映し出される。 滅多に見たことがないマジックの真剣な表情を、見つめ返す。 数瞬見つめあったあと、柔らかくマジックが笑った。 「どうやら、私とシンちゃんとの幸せは追いつ追われつみたいだね」 否定してやりたい気持ちでいっぱいになったが、今日は許してやる。 ただ不敵に笑い返す。 「シンちゃん、愛しているよ。 最期の最期まで一緒にいようね」 ふざけた口調なのに、強く抱きしめられる感覚にマジックの思いの深さを知る。 いつもは重く怖いとすら感じられるそれが、今日はただただ愛おしかった。 けれど簡単に素直になれるはずもなく―― 「…嫌だって言っても、どうせしつこく付きまとうんだろ?」 いつもの調子で呆れて言えば、 自分が先に言ったくせに、とからかわれることもなく、そうだね、と静かに返された。 再び、マジックを纏う雰囲気が変わる。 目を逸らせない。 ゆっくりと伸ばされた手に囲われる。 頭を胸に、強く強く押し付けられる。 それは何処か、懇願のようにすら思えるほどに。 「シンタロー、愛しているよ」 知っている、と答えればよかったのかもしれない。 自分も、と流されるように本音を言えばよかったのかもしれない。 けれど、そんなことができるはずはなく。 答えもせず、胸に顔を埋めた。 自分とマジックの幸せの形は、まだ解らない。 そんなものは、最期の最期まで解らないのだろう。 けれど絶対に、マジックとこの犬のように距離を置くことではないと言い切れる。 離れていては、ダメなのだ。 不安になる。 マジックは、死という永遠の別れと向き合うこから逃れるために、と言ったが、 僅かと言えど、離れると不安になる俺の気持ちなど知らないのだろう。 もう、距離を置くには遅すぎるところまで来てしまった。 ――だから、ずっと傍にいてやる。
04.10.21〜22,11.03 『Each happiness of the black dog and me.』 ≒黒い犬と俺の其々の幸せ。 ← Back