俺、天使。

背中に白い羽が生えたあの天使。
カミサマの命令で、間違った人間を正しい方向に導くことが俺の仕事。
そして目の前で好奇心丸出しで俺を見ている男が、俺の今回のターゲット。







Angel.







「それ、本物?」

目の前の男はいい歳をして好奇心を隠そうともせず、背中の羽を触ろうと手を伸ばす。


何だ、コイツは。
普通は違うだろ?
もっとこう驚くなり、有り難がるなりするだろ?
それなのに、何だこの反応は。
これではまるで、子どもの反応じゃないか。

いつもと勝手が違って黙り込んでしまう。
そんな俺を見て、男はニッコリと笑った。



「君は、キレイだね。
 真っ白の羽と、黒い髪と目が対照的でキレイだね」

…初めて、キレイだと言われた。
天使の中で黒い色彩を持つのは俺だけで、仲間にも異質な目で見られていた。
それに人間たちも驚きや感嘆の目で見ながらも、
何故こんな色彩なのか、と不思議そうに視線を寄越してきたから。

それなのに、この男はキレイだと言った。
一瞬の疑問を抱くことなく、キレイだと言った。
俺が憧れてやまない金の髪と色素の薄い目を持っているというのに。

呆然と男を見れば、またキレイだと言われた。


「…アンタのほうが、キレイだ」

気がつけば、そんなことを口走っていた。
男は目を丸くして、嬉しそうに笑った。

「ありがとう。
 …ところで、天使の君が何をしに来たの?」

その言葉に、自分の仕事を思い出す。
けれど思い出した瞬間、この男のもとに遣わされたのは上のミスではないのかと疑問が生じる。

今回のターゲットは、大量殺戮者。
殺人集団のトップに立つ男。

それなのに、目の前の男は子どもみたいに笑っている。

コイツじゃない…よな?
何かの…間違い?

そう思った矢先に、男が纏う雰囲気が変わる。
温度が一瞬にして下がった気がした。




「天使なんて、滅多に下界に下りては来ないよね。
 それなのに君が来たってことは、私に制裁でも加えに来たのかな?」

先ほどと同じように笑っているのに、目が笑っていない。
底冷えするその目に、のまれそうになる。

「…制裁を加えられる覚えでもあるのかよ」

「ないよ」

男はそう言って笑った。
冷酷さが見えるあの笑みではなく、最初に見た子どもみたいな笑みで。

「君は何をしに来たの?
 どんな命令が下ったの?」

好奇心丸出しの顔で俺を見つめてくる。
けれど、その目は再び冷酷な色を帯びている。

「…間違った人間を正しい方向に導くために」

そう呟けば、男は困ったように笑った。



「私は間違ったことをしている気はないよ?」

「…じゃあ、何をしているんだ?」

「世界の一掃」

何てことのないように、無邪気な笑みで男は答える。

「それで、多くの罪のない人間が死んでいる。
 それは間違ったことじゃないのか?」

「さぁ、どうだろう。
 私は身内以外に興味がないからね」

苦笑しながら男が傍にあったスイッチを押すと、
壁の一面がスクリーンへと変わり、映像を映し出す。
瓦礫とそこから生え出す人間のモノと思われる身体の一部。

血を苦手とする天使にとって、吐き気を通り越し倒れそうになる最悪の映像。

ガクガクと震え出す身体を抱きしめ、映し出された映像から目を逸らす。
その様子を見た男がスイッチを切り、スクリーンは再びただの壁へと戻る。




「今のは、数時間前に降伏した国の映像だよ。
 私が命令して起こった戦争でたくさんの人が死んだけどね、
 それでも私は、悪いことをしたとは思っていないよ。
 …いいことをしているとも、思ったことはないけれどね。
 気がつけば私は総帥を継いでいて、
 周りは敵だらけで殺らなきゃ殺られる、という立場にあったから仕方ないと思わないかな?」

そう訊いてくる男の声は、どこか寂しそうだった。
殺られる前に殺る、それは当然のことだと思う。
けれど、人を殺していい理由などない。

「…でも、アンタは殺しすぎた」

「…かもしれないね。
 それで、君は私をどうするんだい?
 私は、君に殺されてしまうのかな?」

苦笑としかとれぬ笑みを浮かべ、男が笑う。
怯えは勿論のこと、無邪気さも威圧的なものも一切感じられない笑みで。



どうして、こんな笑みで笑うのだろう。
今まで会ったどの人間とも違う。

今まで会ったどの人間よりも、最低な人間でしかない筈なのに、
今まで会ったどの人間よりも、寂しい人間。
そんなことすら、思ってしまう。

自分と、似ているのかもしれない。
周りに信じるものなど、いないのかもしれない。



「…天使にそんな権限はない」

「じゃあ、何をしに来たの?」

クスリと男が笑う。
それすらも寂しさが見えてしまうのは、一体何という錯覚なのか。

「何をしに来たの?」

再び男が尋ねる。

「…正しい道に導くため」

「正しい道って何?」

「…………」

「ねぇ、正しい道って何かな?」



正しい道?
そんなの、知らない。

正しいとか間違っているとか、解らない。
神の遣いと言われる天使の中でさえ、争いがある。

そんな天使が教える、正しい道。
それは、本当に正しいのか?

考えてはならない考えが、静かに湧き出す。

今まで、俺はどうやって人間たちを正しい道へと導いてきた?
振り返ったところで、碌な記憶など思い出さなかった。

人間どもは俺の容姿に騙され、他を考えなくなっただけだ。

興味を自身に持って行く。
そうすれば、争いは起こらない。
俺以外のモノへの興味は失せるのだから。

けれど、それは本当に正しいと言えるのか?




「…知らない」

男から目を逸らし、掠れた声で呟いた。
情けないことに、泣きたい。

俺がしてきたことは、何なのだろう。
何が正しい?

治まっていた震えが、再び起こる。
俺は、一体何をしてきた?



「じゃあ、君は今まで人間のもとに降り立って何をしてきたの?」

「…何も」

「何も?」

男が不思議そうに首を傾げるのが、視界の端に映る。

「…何も、していない。
 ただ死ぬまで傍にいるだけで…勝手にアイツらは俺だけにしか興味を失って…」 

言ってて、また泣きそうになった。
天使って何だ?
俺のしてきたことは、何なんだ…。

悔しさと情けなさで、ワケが解らなくなる。
ただ治まらぬ震えを抑えるように、唇を噛み締めた。

男は何も言わず、俺を見ている。
視線が痛い。

その視線の意味を考えるのが怖い。
蔑まれているのだろうか。

数百年も生きてきたけれど、
俺のこの色彩に疑問を抱くことなく、初めてキレイだと言ってくれた人なのに。

顔を上げられず俯いたままでいれば、男の手が頭に触れた。



「それなら、私が死ぬまで傍にいてくれるのかな?」

優しい声がかけられる。
顔を上げれば、男が笑っていた。
少しだけ寂しそうに。

「今まで君が人間にしてきたように、私の傍にいてくれるのかな?」

再び重ねられる問いかけに戸惑い、男を見つめる。
男はまた少しだけ笑った。

「君が望むなら、もう何もしないよ」

その言葉に、胸が締め付けられる。
この男も、結局同じだったのだろうか。
違うと思ったのに。



天使が持つ不可思議な力。
人間を魅了する力。

始めはその容姿で惹きつけ、
徐々に考えることすら放棄させるほどに溺れさせる。

そうなった人間は、見ていて醜く辛い。
どんなに欲せられたところで、彼らが求めるモノは俺自身ではない。
ただ、不思議な力に魅せら、惑わされているだけだ。

そんな相手に欲せられたところで、嬉しくないどころか苦しい。
傍にいることが苦痛でしかなくなる。

俺自身を望んでくれないくせに、それでも彼らは俺という存在を望むから。

この男も、そうなのだろうか。
他の人間と同じように、天使が備え持つ力に早くも惑わされたのだろうか。



そう思うと、僅かに胸が痛んだ。
初めて自分をキレイだと…受入れてくれたこの男が、
俺自身ではなくそんな力に惑わされて望む。

そんなのは嫌だと思った。

何百年と生きてきた中で、
初めて認めてくれたこの男には、最初から最後まで俺自身を見ていて欲しいと思った。

俯いていた顔を上げれば、男は変わらず寂しい笑みを浮かべていた。

見返りを、要求してくれないだろうか。

そうしてくれれば、彼は天使の力に魅了されたのではなく、
自分の意思で俺を望んでくれていると解るのに。




「…俺は、何もできない」

目を見て、言い放つ。
男は、それを苦笑で受け止める。
そして、口を開く。

さぁ、その口から漏れる言葉は?
承諾の言葉か、見返りを望む言葉か。

「…そうだね」

クスリと男が笑った。
それは、了承の意味なのだろうか。

「君は、別に何もしなくてもいいよ」

その言葉に落胆と絶望がチラリと脳裏を走った束の間、男が笑みを濃くする。

「でも――君が帰ってしまうと言うのなら、
 先ほど君が見た映像がこれからも増え続けるだろうね」

何?
男は、何と言った?

うまく働かぬ頭で男を見つめれば、困ったように笑われた。



「君が傍にいてくれて望むというのなら、私はもう世界に何もしないよ。
 でも君が傍にいてくれないと言うのなら、私は世界を破壊し尽くすよ。
 …卑怯かな?」

卑怯だろ、と思うのに、
それ以上に俺自身を望んでくれたことが嬉しいと思うことは、なんて愚かなことなのだろう。
けれどそう思っても嬉しいと思う気持ちは止められず、ただ頷けば男に抱きしめられた。

思えば、初めて誰かに抱きしめられた。
魅了された人間は、馬鹿みたいに俺を崇め奉るだけで触れてなどこなかったから。

初めて知った温もりは、ただ本当に温かく――不覚にも涙が出てしまった。
それに気づいた男が、その涙にも手を伸ばす。



「ごめんね。
 卑怯だと解っていても、君が傍にいてくれること望むよ」

触れる手は何処までも暖かく、拭われても拭われても止まることはない。
男は、ごめん、と繰り返す。
それが、哀しみのための涙だと信じ。

けれど、本当は哀しいから泣いているのではない。
嬉しいからだ。

だけど、そんなことは言えない。
言える言葉は、ただひとつ。

「…俺が帰ったら、世界を壊すんだろ?」

止まらぬ涙を気にせずに言い放っても、男は苦笑で返す。

「君さえいてくれたら、理由などどうでもいいよ。
 私は卑怯な手を使ってでも、君を手放す気などないから」

自分は卑怯だと、男は言う。
けれど、本当に卑怯なのは涙の理由を言わない俺。
自分こそが欲していると、言えない俺。



キレイだと言ってくれたことが、嬉しかった。
天使の力に惑わされたからではなく、俺自身を望んでくれたことが嬉しかった。
けれど俺も傍にいたいと望んでいる、と言えない弱さ情けなかった。

何も言えないままに男を見上げれば、
それでも笑ってくれるから、おずおずと腕を男にまわした。


傍にいたいと思った。
この男が死ぬまで、ずっと傍にいたいと。






04.09.19〜05.01.01 BGM:『オレ、天使』 『I am an angel.』→『Angel.』 Back