「シンちゃん、今年はお父様のお祝いしないの?」

不思議そうに、グンマが訊いてきた。

「…いつ…だっけ?」

そう答えるだけで、精一杯。
思考が、止まった。

明日だよ、と告げられた言葉が、酷く遠くに聴こえた。







Happy Birthday.







カレンダーで改めて日付を確認しても、今日は11日で明日は12日。
そして、それはマジックの誕生日。

けれど、カレンダーには何の印もつけられていない。
スケジュールを管理しているティラミスたちも、何も言ってこない。

何より、マジックが何も言ってきていない。

これまでなら1ヶ月前から毎日騒いだあげく、
人のカレンダーにグルグルと予定を書き込んで、
さらには、前日となればくっついて離れなかったというのに。

それなのに、今年は違う。

あと数時間で日付は変るのに、何も言われていない。
何も、されていない。




以前なら喜んだことなのに、今年はダメだ。
不安になる。

だって、実の息子ではないと知ったから。
マジックとは、何の関わりのない子どもだと知ったから。

息子だ、とあの時言ってくれたけど、本当は違うのかもしれない。





残業するつもりだったのに、もう無理だ。
こんな状態では、仕事にならない。

でも、部屋に戻りたくはなかった。
連絡が取れる状態で、かからない連絡を待つことなどできなかった。



ふらふらと外に出れば、肌寒さに襲われる。
今更、コートも着ていないと気づいた。
けれど取りに帰る気もおこらなくて、また歩き出した。

街はクリスマスが間近のせいかイルミネーションで明るくて、
それが楽しそうで、余計に寂しさが募った。

時計を見れば、あと数十分で日付が変る。


置いてきた携帯を思った。
アレに、連絡はあったのだろうか。

そう思ったけれど、
帰って履歴を見ることが怖くて、電源さえも消していた。



このまま、何処か遠くに行きたかった。
何もなかったことにして、消えるように新しい人生をやり直して…。

…馬鹿だよなぁ。
どうして、ここまでマイナス思考になるのか。
俺は、悪くないのに。

…そうだ、俺は悪くない。
マジックが、悪い。
絶対に、マジックが悪いに決まってる。

それは間違った考えかもしれない。
でも、まだ前向きなモノへと変った。

踵を返す。
一言言ってやらないと気がすまない。




腕時計に幾度となく視線をやりながら、駆け足で戻った。
時刻は23時54分。

猶予は、あと6分。

勢いに任せて扉を開き、
勢いに任せてガツガツと音を立て、マジックの前に立つ。

電気もつけず、ぼんやりとTVを見ていたマジックは、
酷く驚いた顔をして俺を見上げた。



「…シンちゃん?」

状況が理解していないのか、ぼんやりしたままに名を呼ばれる。

「っアンタ、明日誕生日なんだろ」

焦った気持ちのまま告げた言葉は、無意味に響いた。

「…そうだね。
 あと…5分もすれば、誕生日だね」

ちらりと時計を一瞥し、変らずぼんやりしながらも穏やかに笑いながら答えられた。



噛み合わない。

ひとりで必死になって、馬鹿みたいだ。
子どもが駄々をこねるのと、変らない気がした。

勢いが、消えた。
力が抜ける。


「…どうして、何も言わなかった。
 いつも、馬鹿みたいに騒ぐくせに」

目を見て、言えなかった。
子どもみたいに目を逸らし、弱々しい声で口走った。

沈黙が降りる。
答えないマジックの顔をみることも逃げることもできず、
馬鹿みたいに立ち尽くしていれば、マジックがぽつりと呟いた。


「…怖かったから」

それは自分の声と同じほどに弱々しくて、
思わず顔を上げれば、マジックが苦い笑みを浮かべていた。






「私は例え血が繋がっていなくても、お前を息子だと言ったことを覚えている?」

その言葉に、頷く。

それは、勿論覚えている。
あの言葉が、どれほどに嬉しかったか。

「…でもそれは本当か、解らなくなったんだよ」

苦笑のままに告げられた言葉に、動揺した。


怖い。
続く言葉は何なのか。
知るのが、怖い。

声を出すこともできず、マジックを見つめた。
マジックは苦笑を浮かべたまま、続ける。


「私は、お前が好きだよ。
 親子として…ではなく、それ以上にね。
 でも、お前はどうなんだろう?」

そう問うマジックから、苦笑が消える。
真っ直ぐに見つめてくる目に、怯む。

けれどマジックは答えを待つことなく、続ける。




「お前は大きくなるにつれ、私の誕生日を自主的に祝ってくれなくなっただろう?
 それは結構、私には辛いものがあった、と言ったらお前は笑うかな。
 人の命を数え切れないほどに奪っておきながら、
 私は私がこの世に生まれてきたことを祝って…というよりも、肯定して欲しいと思ってしまうんだよ。
 …弱いことこの上ないけれどね。
 そして、何よりもお前にそれをして欲しかった」

俺は何も言えず、マジックを見つめる。
 
「以前なら、息子だから、とお前を無理やり連れ出すことができたけど、
 今回はその言葉が言えなかった。
 …どうしてかな。それが、凄く寂しい。
 息子ではないと知って、喜んだせいかな?
 お前は怒るかもしれないけれど、あの時私は嬉しかったよ。
 血が繋がっていないと知って。
 私にとって禁忌などあってないようなものだけど、お前は違うだろう?
 お前は、気にする。
 だからそれがひとつでも減ったと知って、私は嬉しかったよ。
 けど、それが間違いだったのかな?
 今は、お前を誘えない。
 大義名分がないからね。
 誰よりも私の存在を肯定してほしいお前に、それを強要できなくなってしまった。
 それならば、いっそ息子だったらよかったのにね」

そう言って、マジックが少し笑った。
力ない笑みは見ていて辛く、胸が締め付けられる。


「…馬鹿じゃねぇの」

やっと搾り出した声。

「お前のことに関してはね」

それでも苦笑で返すマジックに、怒りが生じる。




「…っ俺は、嬉しかったんだ。
 あの時、アンタが息子だと言ってくれて。
 アンタは本当にどうしようもない親父だったけど、それでも俺は嬉しかったんだ。
 それなのに…アンタはその俺の気持ちさえも否定するのか?」

思いのままに言葉にすれば、怒りが悔しさに変った。

マジックは、緩く首を横に振る。

「否定はしないよ。
 お前が、そう言ってくれて嬉しい。
 でも、お前は?
 私の存在を認めてくれるかい?」

諦めたように笑うマジック。



どうして。
どうして、コイツはこうなのだろう。


年甲斐もなく、たかが『おめでとう』と言って欲しいだけなのに、
誕生日を祝って欲しいだけなのに、どうしてそうも話をややこしくする?
存在を認めるとか認めないとか、そんなレベルにまでどうしてなるのか。

それ以前に、マジックは一体俺のことを何だと思っているのか。



今更、存在を認めるとか認めないとか言ってどうする?
認めたくはないが、そんなものはとっくに認めている。

じゃなかったら、他人だと知っている今、ガンマ団に残っているはずはない。
それに、態々馬鹿みたいに今ここにいない。

どうして、そんな簡単なことが気づかないのだろう。
俺は、マジックみたいに言葉にすることも態度にすることもできないと知っているくせに。

何を恐れている?
不安に思っている?

言葉にも態度にもしない、俺が悪いのかもしれない。
でも、マジック。
アンタは、俺の気持ちを軽く見すぎている。

それを知って哀しいと、寂しいと思う自分が情けなくて笑える。
そう思うと、少しだけ落ち着いた。

落ち着いてマジックを見れば、
変らず諦めたような笑みを浮かべながらも、目は捨て犬のようだった。

これが、人殺し集団の頂点にいた男の目だというのだから笑える。




「…なぁ、覚えているか?」

マジックの問いには答えず、訊いた。

「まだ俺が16の誕生日を迎える前日に、アンタが俺を呼び出した時のこと」

何を問われているのか解ったマジックが、静かに頷く。

「あぁ、覚えてるよ。
 お前はプレゼントは何もいらない、って言ったね」

懐かしそうにマジックが笑う。

「アンタは、俺が望むなら世界さえ差し出す、と言った」

真っ直ぐに目を見て言えば、マジックもそれを受け止め答える。

「今でも、その気持ちは変っていないよ。
 でも、お前がそれを望んでいないと知ってるからしないけどね」

笑みを深めて言うマジックを、俺は笑うことなく見つめ言った。

「俺はアンタがそんなふうに俺を想うようには、想えない」

その言葉に、マジックの笑みが消えた。


沈黙が数瞬続き、マジックが時計に目をやる。
時計は23時58分を指していた。



「それならば、もう出て行ってくれないかな。
 私の存在を肯定してくれないのなら、もういいよ。
 寂しくなるだけだから。
 明日一日、静かにひとりで過ごすよ。
 翌日からはちゃんと元に戻るから、明日だけは見逃してくれないか。
 おやすみ」

寂しそうに笑うマジック。
でも、言葉は矢のように胸に突き刺さる。

「…誰も肯定しない、なんて言ってない」

「もう、いいよ。
 お前も、早く寝なさい」

促すように、扉を見られる。
けれどそんなものを無視して、尚も告げる。

「俺は世界を差し出すほどに、アンタを望んじゃいない」

その言葉に、マジックは深く目を閉じた。
耐えてやり過ごそうとするように。



「…でも。
 認めたくはないけど、俺はアンタを認めてる」

呟いた言葉に、マジックが俺を見た。
その目を逸らすことなく見つめた。

「あの時俺は、生れてきたことを本当に喜んでくれている、って解ればいいと言った。
 …アンタもそれを望んでるんだよな。
 でも、俺はアンタに何もやれない。
 世界なんて、差し出せない」

「…世界なんて、欲しくないよ。
 ただ、お前がいてくれさえすればいい」

そう言って差し伸ばされた手を取れば、抱き寄せられる。

「世界はやれない。
 でも、傍にいてやる。
 ずっとアンタが死ぬまで傍にいてやる」

抱き合い額と額をくっつけて、誓うように言った。
マジックが小さく、ありがとう、と言った。



そして、カチリと音を立て針が0時を指し示す。



似合わないことを、らしくないことをしていると知っている。
でも今日だけは、気づかないふりをする。
マジックも、気づかないふりをする。


世界を差し出すほどに、マジックを想っているのか解らない。
けれど血の繋がりがないと知っても、
傍にいたい、いてやりたいと思うほどに、想っている自覚はある。

だから、擦れ違った互いの不安を消す言葉を告げる。

本当はこの言葉ではない言葉を望んでいると知っているけれど、それでも今はこの言葉を。
言葉にならぬ、すべての思いを込めて。



―― Happy Birthday.






04.11.29〜12.12 Back