夢を見た。
愛する誰かとその子どもと幸せに笑う夢を。







Happiness in pain.







静かに覚醒していく。
夢が、遠のく。

現実には戻りたくないと思うのに、
目元に触れる自分のものではない手に、更なる覚醒を促される。

永遠に閉じていたかった瞼を開ければ、マジックが心配そうに俺を見ていた。


これが、現実だ。
アレは、夢でしかない。




「シンちゃん?怖い夢でも見たの?」

恐々と訊ねる声が聴こえる。

あぁ、アンタそんな声をしていたんだよな。
やっぱり、これが現実なんだ。


重い瞼をもう一度閉じゆっくりと開ければ、変わらずマジックが覗き込んでいる。
心配そうにまだ何かを言っているけれど、よく聴こえない。
聴くつもりもない。
だって俺は今、幸せな夢を見ていたんだ。




「…幸せな…夢を……見た……」

完全には覚醒していなくて、ぼんやりとマジックの顔を見ながら告げた。
マジックは何かを悟ったのか、顔を歪めて笑いながら応えた。

「…でも、シンちゃん。泣いてたよ?」

言いながら、また涙を拭おうと手を伸ばしてくる。
それを払いのけ、自分の腕で目を覆った。


「…俺がいて、誰か知らない…でも俺が愛する女がいて、その子どもと三人で暮らしてた。
 俺は、穏やかに楽しそうに…笑ってた」

マジックは、何も言わない。
ただ俺の頭を子どもの時みたいに、落ち着かせるように撫でる。

触れるその手の暖かさに胸が、小さく悲鳴を上げた。
けれどそれでも、言葉はとどまることなくと零れ出る。

「俺は…笑っていた。
 楽しそうに………でも、そこにアンタはいなかった」

髪を撫でる手が、一瞬だけ止まった。
けれどそれはほんの一瞬で、再び髪を撫でられる。

マジックは、何も言わない。
俺は馬鹿みたいに胸の痛みに耐えているというのに、マジックは何も言わない。


この差は何だ?
アンタが、俺を好きなだけなんだろう?
それなのに、どうして俺だけが胸を痛める?
アンタの動揺は、一瞬だけなのかよ。


悔しくて目を覆っていた腕で、マジックの手を振り払う。
閉じていた目を睨むように強く開ければ、マジックは静かな笑みを浮かべていた。
それは怒りの言葉が消え失せるほどの、静かな静かな笑み。





「…っ……」

何か言わなければと思うのに、言葉は出てきてはくれない。
凝視し続ける俺を見て、マジックは溜息のような笑みを零した。

「……いつか、シンちゃんも誰かを見つけるんだね。
 愛する人を見つけるんだね」

苦笑に近い笑みで、マジックは寂しそうに告げた。
そして、さらに言葉を続けている。

けれど、それはもう頭に入ってきてはくれない。
先ほどのように、聴くつもりなどないからではない。

何も、聴こえないのだ。
ただずっと、マジックの言葉が頭の中で繰り返される。



『いつか、シンちゃんも誰かを見つけるんだね』

『も』って何だよ。
明らかにその言葉は、相手が俺ではないと言っている。
普段は散々『愛してる』と言っているくせに、結局は嘘だったってことか。

その相手が俺の母親(だと思っていた人)だとは解っているし、それが当然だとも解っている。
それなのに、許せないと思うこの感情は何だ?

――それは何処かで解っていたけれど、解りたくなかった感情。


まだ何かを言っているマジックの名を、遮るように呼んだ。
マジックは話すのを止め、俺を見た。
変わらず苦笑を浮かべていたが、
どこか怯えているように見えるのは、俺の下らない希望なのだろうか。




「…夢を、見た。
 俺は、穏やかに笑っていた。
 …そこに、アンタはいなかった」

何かと決別するつもりで、言葉に力を込めて告げた。
マジックは俺を見つめた後ゆっくりと目を伏せ、黙り込んだ。

今、マジックは何を思っているのだろう。
俺が子どもだったの時を思い出しているのだろうか。
俺が見た夢と同じような過去を、思い出しているのだろうか。

今みたいに泥沼と言える関係になっていなかった過去。
マジックの愛する女がいて、本当は違ったけれどその子どもいて…。
幸せであったろう過去。
そして、それは俺の幸せでもあった過去。




「そこに、アンタはいなかった。
 俺は、笑ってた。
 アンタの前じゃ見せたことのない笑みで、笑っていた。
 幸せって言うのは、あんなのを言うんだろうな」

声が、自嘲に揺れた。

「…シンちゃん」

マジックはゆっくりと顔を上げ、俺を見た。
戸惑ったような情けない顔。
その顔から目から視線を逸らさずに、言葉を続ける。

「…でも、何でだろうな?
 俺、幸せだとは思わなかった」

「………」

「何でだろうな?
 アンタと一緒にいても苦痛しか感じないのに、
 それでも、夢の中の俺は幸せだとは思わなかった。
 ただ、笑っていただけだ。
 幸せを絵に描いたような光景だったのに…。
 …夢から覚めてアンタを見て現実を思い出した瞬間、苦痛を思い出したって言うのに、
 俺にとってはこの現実のほうが幸せなんだ。
 あんなふうに笑えてないのに。
 苦痛しか感じてないのに。
 …おかしいよな?」

マジックの顔が歪んだ。
何も言わずに手が伸ばされ、目元を拭われる。
情けなくも涙のせいでマジックの顔が歪んで見えていたのかとも思ったけれど、
手が離れてからもマジックの顔は苦痛に歪んでいた。

そんな顔を見つめながら、もう一度訊いた。



「…おかしいよな?」

マジックはゆるゆると首を振った後、静かに腕を伸ばし抱きしめてくる。
安心を覚えるほどに慣れてしまった体温を感じ、目を閉じた。
自分から訊いたくせに、答えを出されるのが怖いのかもしれない。
けれど、マジックは静かに口を開く。

「…パパは、シンちゃんが幸せになってほしいって思う」

「…幸せだけど、笑えなくてもか?」

訊いてはいけない言葉を口にした。
マジックの抱きこむ手に、力が入った。

「…ごめんね。
 パパは我侭だから、自分が一番なんだ」

それはまるで懺悔にも似た告白。

「シンちゃんに幸せになってほしいって、本当に思っているけど…。
 それ以上に、パパは自分の幸せが一番なんだ。
 だから、シンちゃんを手放す気はないよ。
 シンちゃんがパパではない誰かとじゃないと幸せになれないとしても、
 パパはシンちゃんから絶対に離れないよ。
 理想は互いに幸せだと思えたらいいんだけどね…」

ごめんね、とマジックが呟く。
 
 

なんて、自分勝手な発想。
散々、好きだの愛しているだの言いながら、結局アンタは自分が一番なんだ。
俺のことは二の次だ。

そう思うのに、安心する自分がいるのは何故だろう。
マジックの幸せには、自分が必要不可欠だと聞いたからだろうか。

なんて、単純。
なんて、不幸。

マジックなんて知らなければ、俺は夢のような幸せを得ていたはず。
でも、知ってしまった。

苦痛しか生み出さないと言っていい関係なのに、
それでも俺は、笑いあえる誰かを選ぶのではなくマジックを選んでいる。



しがみつくように、マジックを抱きしめた。
マジックは少しだけ力を込めて、抱きしめ返す。

「言っただろ?
 苦痛しか感じないけれど、俺はアンタを選んでいる。
 アンタといるほうが、幸せだと思ってるんだよ。
 だから、互いに幸せだと感じてる」

そう言いながらも、告げる声は酷く掠れていた。
一体どんな顔で言っているのかすら、自分でもよく解らない。

マジックは何も言わなかった。
ただ労わるように、けれど強く強く俺を抱きしめた。





手放せばいい。
互いに、手放せばいい。

けれど、それすらできないところまで来ている。


こんなに歪んだモノは、ただの執着でしかないのかもしれない。
けれど、それでも互いを必要としている。
苦痛にまみれた中で、幸せを感じているのは事実。

そんな歪んだ幸せを選んでいる。
それでも幸せだと感じている。
どこまでも、歪みが伴う幸せ。




夢を、見た。
愛する誰かとその子どもと幸せに笑う夢を。

それは絵に描いたような幸せな夢。
けれど、そこにはマジックはいなかった。
だからどんなに夢の中で俺は幸せそうに笑っていても、幸せじゃない。


俺にとっての幸せは、
歪んだ関係の中で苦痛を伴いながらも、アンタの傍にいることらしい。






09.18〜09.19 『Happiness in pain.』=苦痛の中の幸せ。 1万Hitお礼SS。 お礼などと言いつつ、薄暗くて申し訳ないのですが、 訪問してくださったすべての方に感謝を込めて捧げさせてください。 Back