「覚えてるか?」 シンタローが、笑って訊いた。 Absolute wish. 「勿論、覚えてるよ。 パパが忘れるワケないじゃない。 シンちゃんの誕生日を」 無理をして、いつものように笑う。 そうでもしないと、顔がひきつりそうだ。 自分のこと以上に嬉しいシンタローの誕生日が、 今日ほど来なければいいと思ったことはない。 「そうか?」 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、笑うシンタロー。 その笑い方は、あの時と同じ。 慰めるように、労わるように――そして、誤魔化すように。 「何が欲しいんだい?」 訊きたくないのに、訊かずにはいられない。 ドクンドクンと心臓が煩い。 「その前に、絶対だよな?」 「何が?」 「絶対に俺が望むモノをくれるって約束」 真剣な目が、射抜くように見上げてくる。 これは、覚悟を決めなければいけないのかもしれない。 欲しいモノ、ではなく、望むモノ。 その言い方の違いだけで、ワケもなく焦燥感に駆られる。 「パパが、シンちゃんに嘘吐いた時あった?」 「どうだか?」 ケッと、シンタローが鼻で笑う。 嘘は、嫌と言うほど吐いてきた。 恥ずかしいなどと思ったことは一度もないが、 それでもキレイなシンタローには隠していたいと思う仕事をしている。 それを、出来うる限り見せないようにしてきた。 そこに、嘘は生じている。 嘘だと決定的にバレないように、誤魔化してはいたが。 だって、この子が穢れる。 こんなキレイな子が、私と同じになってしまう。 …いや、そうじゃないな。 私は、怖かったんだ。 この子が、どんな目で私を見るかと考えることが。 そんな私に気づいたシンタローは、 仕事に関しては一切気づかないふりでいてくれた。 変らぬ態度で、変らぬ表情で。 だから、いつから気づいていたかなんて知らない。 怖くて、追及できないまま。 「まー、いいよ。 約束さえ守ってくれたら」 「何を望むの?」 何が欲しい、とはもう訊けなかった。 「本当に、約束は守るのか? 守らなかったら――、家を出る」 どうやって、とは訊かなかった。 訊けなかった。 サービスのところにでも行くのだろうけれど、そんなことは許さない。 けれどそれを止めるために、この子の自由を奪うことをそれ以上に私は許せない。 私にできることは、ひとつ。 「シンちゃんを失うくらいなら、パパはなんだってするよ」 「守れよ」 短く確認するように、シンタローが言った。 私は、ただ頷いた。 「――サインをくれ」 差し出された予想もしなかった紙に、目の前が暗闇に染まる。 「…どうして?」 震える声で訊いた。 シンタローは顔を逸らし、俯いたままに答える。 「…理由なんて、どうだっていい。 サインさえ、くれればいいんだ」 「何それ? 本気で言ってるの? それが何だか、知ってて言ってるの?」 ここまできても、それを確認する。 目の前の紙が、信じられないから。 信じたくもないから。 「約束だ」 俯いたままのシンタローの肩を掴み、無理矢理顔を上げさせる。 そこに、泣き出すのを必死に止めようとする顔があった。 「そんな顔するくらいなら、止めなさい」 「約束だ」 絶対に、引かないシンタロー。 視線を逸らすのを止め、必死に見上げてくる。 「それが、何だか知ってる?」 「入団志願届け」 「…うちの団が、何をしてるのか知ってる?」 「…暗殺」 ギュッと耐えるように唇を噛み締めたが、それでもシンタローは視線を逸らさなかった。 「人を殺すんだよ?」 ビクリとシンタローの肩が震えた。 このまま、諦めてくれればいいのに。 「それは、罪のない人かもしれないよ?」 「…それでも、決めたんだ」 それは、悲痛な声だった。 「…約束だろ?」 ふっと、シンタローが笑った。 悲痛な表情は、もうない。 「どうして、って訊いてもいい?」 「…理由なんてねぇよ」 そんなはずは、ないだろう。 心優しい子だった。 猫が死んだと、鳴き続ける子だった。 理由がない限り、団になど入ろうとは思わない。 「…嘘吐きだね」 「アンタに、似たんだよ」 何も、返せなかった。 ただ、そう、とだけ応えて、シンタローの手の内にあった紙を取った。 「後悔しない?」 「……」 シンタローは答えなかった。 後悔するかもしれない、ということだろう。 それでも、今はこの道しかないと決めている。 だから、何を言っても無駄なのだ。 ポケットに差してあった万年筆を取り、サインした。 それをじっと、シンタローは見上げていた。 「こんなモノ、お前に渡したくないよ」 「でも、俺は貰う」 暫く無言で見詰め合って、紙を返した。 それを、ギュッとシンタローが握り締める。 「じゃあな」 用は済んだ、とでも言いたげに、さっさと踵を返される。 その背中はまだ小さいのに、もう子どもではなかった。 「ハッピーバースディ、シンタロー」 投げかけた言葉に、シンタローは足を止めかけたがそのまま扉に向かう。 けれど扉に手をかけたまま、立ち止まる。 そして、振り返った。 「もう、嘘は吐かなくていい」 それだけ言うと、扉は静かに閉まってシンタローは出て行った。 言われた意味を理解するまで、数秒。 理解した瞬間、崩れ落ちそうになる。 私のためか? 何をどうしたら、そういう考えに至ったのか解らないが、 それでもその答えが間違っているとは思えない。 キレイな穢れなき子ども。 そんなシンタローを、私が汚い世界に引きずり落とすのか? それを望んだことがない、と言えば嘘になる。 けれど、決してそれだけを望んでいたワケではない。 それなのに軋む胸の中、 喜びがまったくないとは言えない自分が、酷く情けなかった。 シンタローの誕生日なのに、 私は何もプレゼントすることが出来ず、 代わりに、どうしようもないほどに哀しくも優しいシンタローの想いを貰った。
06.05.27 ← Back