朝からぼんやりしていたマジック様は、 昼過ぎには使い物にならないほどになられた。 だから、 気分転換をしてください、と言った。 言ったけど、だからってこれはないだろう。 The star for you. 昼過ぎに本部を出たのに、今はもうすっかりと日が落ちている。 しかもあたり一面には草原が広がり、 少し時期はずれの蛍が淡い光を放ちながら飛んでいる。 そんな幻想的な雰囲気に、 チョコレートロマンスは嬉しそうに駆け回っている。 いい歳をして…、と思わないでもないが、そうさせるだけのものがここにはある。 地上だけでなく見上げた空には、 同じように、けれどそれ以上に強い光を星たちが放っている。 そんな中、夜空を横切るように存在する光の帯が見える。 日本語で、天の川と言うのだと思い出したら、 次いで、今日が七夕と呼ばれる日と言うことも思い出した。 年に一度だけ、引き離された愛する人に会える日らしい。 そんなことまで思い出したら、 何故、こんな所にマジック様が来たのか解った気がした。 思い浮かぶのは、マジック様にとって唯一の存在。 今はいない、シンタロー様。 「マジック様、どうしてこのような場所に私たちはいるんですか」 訊くまでもなく答えなど解っているのに、 ふつふつとやるせない怒りが湧き上がり訊いた。 書類はこうしている間にも増え続ける。 緊急の問題がいつ起こるか解らないのに、本部を遠く離れた場所にいる。 それもこれも、マジック様のせい。 …いや、そんなことでじゃなくて、感情の問題なのだ。 時折、解らなくなる。 マジック様への感情がなんなのか。 尊敬をとうに超えていることは認める。 けれど、行き着いた先にある感情が解らない。 解ることが、怖いのかもしれない。 溜息を吐き出しながらそっとマジック様を伺ってみれば、 私の言葉など聞いてなかったようで、ぼんやりとしたまま空へと手を伸ばしている。 しかも、僅かに笑みすらのせて。 「…何ですか。 手なんか伸ばしても、星なんて手に入りませんよ」 言ってから、何をバカなことを言ってしまったのか、と後悔したが、 マジック様は、きょとんとした顔で私を見て、 伸ばした手を、やはりきょとんとした目で見つめる。 ゆっくり伸ばした手は下ろされたが、それは胸元で軽く握られた。 大切なものをそっと抱いているかのように。 「…確かにね。 夜空に輝く星は手に入らないね。 でも、私は星を貰ったよ」 穏やかな声でマジック様が言う。 星とは、シンタロー様のことだろうか。 そんなことを思ったが、貰った、という表現がひっかかる。 そんな考えが解ったのか、マジック様は小さく笑い、また夜空へと手を伸ばす。 「子どもの頃に、父から貰ったんだよ。 クリスマスに星が欲しいと言えば、キレイなクリスタルの星を貰った。 夜空に輝く星が欲しかったんだけど、それ以上に素敵なモノだった。 あの時の嬉しさを覚えているのに、私はどうして間違ったのかな?」 伸ばした手を完全に下ろし、寂しそうに笑った。 「シンちゃんもね、子どもの頃に星が欲しいと言ったんだ。 私とは違って、クリスマスじゃなくて誕生日にだけど」 「あなたが貰った星をあげたんですか?」 言いながら、否定される気がした。 クリスタルの星というものに、覚えがある。 マジック様の執務机に、ずっと昔からあるクリスタルの星。 ペーパーウェイトと使われているけれど、あまりにもキレイな星。 あれが、そうなのではないだろうか。 そう思っていると、やはりマジック様は否定の言葉を口にした。 「いいや。 できたばかりのプラネタリウウムを買った」 何でもないことのように、さらりと答えられる。 その上、 本当は新しいのを造りたかったんだけど、間に合いそうになかったから、と 今と変らず、金銭感覚の狂った言葉をくれた。 「さぞ、お喜びになったでしょう」 嫌味を込めて言ったら、小さく首を振られる。 「喜んでくれたよ。 でも、何かが違ったんだよ」 何が違うと言うのだろう。 本物の星なんて手に入らない。 手に入ったところで、それは空で輝いている星ではなく、 ただの石ころでしかない隕石だろう。 それならば、マジック様が貰ったというクリスタルの星も、 シンタロー様にあげたというプラネタリウムも同じではないのだろうか。 解らない、と目で問えば、視線を空に向けたままに答えられる。 「だからね、ここを買ったんだ。 誕生日からちょっと遅れてしまったけど、今日と同じ七夕に一緒にここに来たよ」 何がどう、だから、に続くのかは解らなかった。 けれどその理由を訊けるはずもなく、ただマジック様を見つめれば、 マジック様はゆっくりと星が瞬く空ではなく、蛍が飛び交う地上へと視線を移した。 「地上も空も、キラキラと輝いてキレイだと思わないかい。 ここは、今も昔も変らないね。 目を輝かせてね、シンタローもチョコレートロマンスみたいに走り回ってた」 そう言うマジック様の視線は、チョコレートロマンスに向けられている。 蛍を追い掛け回し、手に捕まえ立ち止まり、そっとその中を覗き見る。 それから広がる満面の笑み。 きっと、幼かったシンタロー様も、 同じように蛍を追い、捕まえ、満面の笑みを見せたのだろう。 「お喜びになったでしょう」 だから、同じ言葉を言った。 嫌味を込めたものではなく、本心から。 「…そうだね、喜んでくれたよ。 プラネタリウムの時以上に。 だから、毎年この日にここにふたりで来たよ」 長くは続かなかったけど、とやはり寂しそうに続けられる。 「いつからかな、シンタローが一緒に来なくなったの。 士官学校に上がる頃までは文句を言いながらも一緒に来てくれてたのに、 上がってからは一緒に来たことがない。 できることならずっと隠していたかった総帥の私を知って、許せなくなったのかな」 「…マジック様」 否定しなければ、と思うのに、その言葉はひとつも出てきてはくれない。 それが絶対の答えではないだろうけれど、 答えの要因となったことは否定できないと思うから。 「そんな顔をしなくていいよ。 おかげで、何が違うか解ったから」 痛ましいのに柔らかな笑みで、マジック様が笑う。 「何…だったんですか?」 「実に下らないことで――とても大事なこと」 「何ですか?」 「傍に、ってことだよ。 本物とか本物じゃないとかは、やっぱり関係ないんだよね。 その証拠に、シンちゃん喜んでくれたし。 違うって言うのは、私の我侭というか弱さかな」 そう言って、視線を空へと戻される。 「傍に、ないんだ。 私が貰ったクリスタルの星は、父が亡くなった今でも私の手にある。 キレイな思い出と共に。 けれど、シンタローはどうだろう。 あの子の手元には、何も残ってないよ」 寂しそうに笑って、 それでも大切なモノを見る目で星を見る。 そんな姿は、見ていて辛い。 「でも、思い出が残っているでしょう」 否定の言葉を告げれば、否定の言葉で返される。 「でも思い出は、目に見えないよ。 シンタローが思い出として大切にしてくれていたとしても、私には見えない。 それは、傍にあるとは言わない。 私が貰った星のように、あの子にも星をあげたかった」 後悔が嫌と言うほど伝わる。 けれど、こんなことは後悔なんかじゃない。 後悔とは、手を尽くしてそれでもどうにもならなかった時にするものだから。 だから今、後悔なんかしてはいけない。 「あげればいいじゃないですか。 マジック様の貰った星をあげればいい」 そうすれば、シンタロー様はきっと受け取る。 マジック様からの贈り物は、絶対に受け取らないだろう。 けれど、それがマジック様以外 ――それも自分の祖父から伝わってきたモノだと知ったら、 受け取らずにはいられないだろう。 人の好意は無駄にできない人だから。 文句を言いながらでも、決して蔑ろにはしない。 唯一それをされる相手が、マジック様だ。 そのことを知らないのは、当のマジック様だけ。 だから、マジック様は気づかない。 シンタロー様の気持ちも。 憎んでいるだけなら、逃げたりなんかしないのに。 このふたりは、いつも相手をちゃんと見ていない。 見ているのに、本質を理解していない。 「ティラミス?」 解らないという顔で、マジック様が見てくる。 その目を逸らさずに言った。 「シンタロー様に、あなたの星をあげればいい。 喜ばれますよ。 あなたは、もう必要ないでしょう?」 マジック様が欲しいモノは、星じゃない。 手に入った星も大切だけれど、それ以上に大切なモノがある。 その人に大切な星が渡り、 それを手にし、大切にしてくれる相手を見ることで満たされる。 だから、もう必要ないでしょう。 そう目で静かに訴えれば、マジック様は瞠目した後に笑った。 久しぶりに見る子どもみたいな笑みで。 「そうだね。 シンタローに私の星を貰ってもらおうか。 そうしてそれは、あの子の手に残る。 昔みたいに喜んでくれないかもしれないけど、 その代わりに、違う、なんてもう思わないよね」 そしてまた、手を空へと伸ばされる。 まっすぐ星に向かって伸ばされたその手は、ゆっくりと下ろされ胸元で強く握られた。 先ほどのようにそっとなんかではなく、想いを込めるように強く。 そんなマジック様の姿を見て、安心する。 けれどその反面、胸がズキリと痛む。 その痛みに、行き着いた先の感情を自覚する。 知ったところで、どうしようもない感情。 だから、何も望まない。 ただ今、傍にいられることだけで幸せだと思った。 傍にあるということは、何よりも大切なこと。 勝手なエゴでしかないけれど、それでももう十分に幸せなんです。
05.07.01〜07.07 ← Back