何とも不可解な光景を目にした。

ティラミスがマジックに何かを渡している。
それが書類の類なら、特に何も思わない。

けれど、それは小さな紙袋。
それも見るからに、プレゼントだと解るそれ。

相変わらず、渡すティラミスは表情が読めない顔をしていたが、
マジックは嬉しそうに笑っていた。

中身は何なのか。

それが何を意味するのか知ったのは、休憩時に訊ねてきたグンマだった。







You are my Valentine.







「はい、シンちゃん」

笑顔で、グンマが小さな箱を渡してくる。
受け取ったそれは、甘い匂いを放っている。

「…チョコ?」

「今日は、バレンタインでしょ?」

言われて、初めて気が付いた。
そんな日だった。

でも、チョコ?

「…チョコってお前、そんなん日本だけだろうが」

呆れて言えば、グンマはぷーっと頬を膨らました。



「そんなの解ってるよ。
 ちゃんとお父様やキンちゃんには、他のモノをあげるよ。
 でもシンちゃんには、懐かしいかなって思って特別にチョコにしてあげたのに」

「…まさか手作りとか言わねぇよな」

何となく恐ろしく、貰ったチョコを凝視する。

「…違うよ。
 いくら僕でも、自分の料理の腕くらい知ってるよ」

俯きながらも、睨んでくるグンマ。
何となく、気まずい雰囲気が流れてしまう。

視線を泳がせると、グンマが持つ小さな紙袋が目に付いた。
それは、マジックがティラミスから渡されていたモノのように綺麗な紙袋。




「それ、何入ってるんだ?」

「これ?プレゼントだよ。
 お父様とかキンちゃんとかの」

気まずい雰囲気が流れていたことなど一瞬で忘れ、笑ってグンマが答える。
けれど、俺は笑えない。

思い出されるのは、ティラミスとマジックと渡された紙袋。
そして、嬉しそうに笑うマジック。


ここは、日本ではない。
だからバレンタインの意味合いが、日本と違うことも知っている。

愛の告白をする日、というだけではない。
親愛の気持ちや、感謝の気持ちを伝える日でもある。

それは、解っている。
だから、何も不自然なことじゃない。

プレゼントを渡すティラミスも、それを笑って受け取るマジックも。


でも、それを素直に納得できない自分がいた。





「…シンちゃん?どうかした?」

彷徨いかけた意識を戻せば、心配そうにグンマが見上げてきた。

「…あ、いや。何でもない」

「…そう?」

まだ心配そうなグンマに、笑って見せた。

下らないことを考えても、時間の無駄。
そんなことを考えている暇はない。

「あぁ。
 お前も、もう行けよ。
 それ、マジックやキンタローにやるんだろ?」

「…う、うん」

まだ納得いかないグンマに、時計を見せて急かした。
休憩時間は残り少ない。

「ねぇ、シンちゃん。
 今日もお仕事遅いの?」

「急ぎの仕事は終わったから、定時は無理でも多少は早くなると思うけどな」

どんな意図で訊かれたか解らなかったけれど、
それでも安心させるように笑えば、グンマもほっとしたように笑った。







「シンちゃん、お疲れさま」

グンマに言ったとおり、定時とはいかないまでも仕事は早くに片付いた。
コキコキと肩をまわして寛いでいると、タイミングを見計らったようにマジックが入ってきた。

あまりのタイミングのよさに、思わず眉間に皺が寄る。
いくらセキュリティーのためとはいえ、監視カメラを外してやろうか。
と思ってみたが、きっとこの男にはそんなことは何の意味もないのだろう。

答えない俺に、珍しく焦れることも抱きついてくることもなく、
満面の笑みで静かに近づいてくる。

その行動だけでも怪しいのに、後ろに隠した両手が更に怪しい。
そこに何があるのか、注意深く見るがよく解らない。



「そんなに、警戒しなくていいよ。
 これは、シンちゃんにあげるんだから」

苦笑しながら、隠していたモノを渡される。

反射的に受け取りそうになったのは、マジックがティラミスから受け取っていた小さな紙袋。
それを寸でで拒みながらも、呆然とする。

「な…んで?」

だって、これはアンタが貰ったモノだろ?
嬉しそうに、貰ってたじゃねぇか。

訊きたいのに言葉にはなってはくれず、座ったままにマジックを見上げる。

「今日は、バレンタインだから」

「…違っ」

そうじゃなくて、これはアンタが貰ったモノだ、と言いたいのに、
やっぱり声はでてくれないまま。

「違うって、シンちゃん違ってないよ。
 今日は14日だよ」

困ったように笑うマジック。
声は出てはくれないから、首を振った。

それすらも、マジックは誤解する。



「…受け取ってくれないの?」

「…だって、それは俺が貰っていいモノじゃない」

漸く声が出たけれど、出なければよかった。
自分の情けない声なんて、聴きたくなかった。

それが悔しくて俯けば、マジックが小さな溜息を吐き出す。

顔を上げることもできず、片付いて何も見るものなどない机を睨んでいると、
俯いた頭上に、静かな声が降り注いだ。

「これは、お前にだよ。
 全部受け取ってくれとは、言わない。
 パパのことが少しでも好きなら、受け取ってくれないかな」

何を言われているのか、よく解らない。
思わず見上げれば、声と同じような笑みを向けられた。

そして、再び差し出される紙袋。

今度はどうしてか拒めなくて、受け取った。
小さな袋の割りに、少しだけ重さが伝わる。

それでも中身を見ることなんてできなくて、
マジックを見上げたままでいれば、もう一度同じ言葉を言われた。

「…少しでも好きなら、受け取ってよ」

そのワケの解らない真剣さに押されるままに、小さな紙袋を開けた。




紙袋の中には綺麗にラッピングがされた箱が、何故かいくつも入っていた。
その箱にはそれぞれカードが付いている。

カードを見て、笑った。

どれもマジックの字で書かれたカードを見て、
正真正銘これはこれはティラミスからマジックへ渡されたモノではなく、
マジックから自分へと渡されるべきモノだと解ったから。

下らない勘違いをしそうになった自分に、少し呆れる。

それにメッセージには、『You are my Valentine.』と書かれてあって、
『From your Valentine.』と書いていないだけ珍しく謙虚だ、と思ったから。

けれど、笑みは一瞬で消え去ってしまった。
どのカードにも記された年に気づいたから。

今年のモノだけではない。
去年のモノもあり、その前の年のモノもあり、それ以上前の年のモノもある。

そして一番古い年のは、あの年のモノ。
コタローと離されたあの年。

――だからその意味が、解ってしまった。

顔を上げたら、マジックが少し笑った。




「ずっと、渡したかったんだよ。
 お前が、私を避けるようになっても。
 それでも、すっとお前のために選んで喜んで欲しいと思ってた。
 今なら、貰ってもらえるかな?」

馬鹿だと思った。

普段の下らなさ以上に、時折見せるこういう下らなさが、
何故か腹立たしいほどの苛立ちと寂しさを伝える。

「…なんで…アンタは…」

その先の言葉は、何も浮かばなかった。
ただ、どうしようもないほどに、胸が痛みを伝える。

「…ごめんね」




そこで、どうして謝るのか。

謝らなければならないのは、マジックではない。
勿論、俺でもない。

謝る理由なんて、何ひとつないのだから。
けれど、それをどう伝えればいいのか解らない。

普段は傲慢とも尊大とも言える態度を取るくせに、
時折見せるこの弱さに、どう対応していいか解らなくなる。

ただ、今解ることはひとつ。

受け取らなければいけないということ。
受け止めねばならないということ。

マジックの気持ちも、それに対する自分の気持ちも。



「…全部、受け取ってやる」

その言葉しか、今は何も知らない。
この言葉しか、きっと何も先へ繋げない。

真っ直ぐに言い放てば、マジックは漸くほっとしたような笑みを見せた。

「ありがとう」

心から嬉しそうに告げられた言葉。

でも、それ以上に聞きたい言葉がある。
聞くことが怖いけれど、聞かなければいけないことが。


「…なぁ、コタローには……」

用意してないのか、と続く言葉は、どうしてか出てはくれなかった。
けれどそれでも、理解してくれたマジックは笑った。

「用意してるよ。
 …でも、今年からだよ。
 ちゃんと向き合おうと思えたのが、今年なんだ」

情けないよね、と苦笑するマジック。

「…そんなの、俺も同じだ」

本当に、同じだ。
あれから何年も経つのに、漸くマジックと向き合うことができた。

あの島で、やっと家族になれた気がした。
マジックと俺とコタローと。




「…そっか。なら、よかった」

呟きながらも、何処か幸福に満たされる。

「…いや、受け取ってくれてありがとう」

マジックも、幸せそうに笑った。

「でも、俺何も用意してねぇよ?」

何年もの間ずっと用意してくれていたマジック。
なのに、俺は何もない。
そんな気持ちにすらならなかった。

「…悪ぃ」

「謝らなくていいよ。
 原因は、私にあるんだから。
 それに私は、お前が生きているだけで幸せなんだ。
 でもだからからこそ、
 次々とお前にいろいろと望んでしまうけど、生きてさえいてくれれば本当はいいんだよ。
 コタローも今は眠っていても、生きてさえいてくれればいい。
 希望は、そこから生まれるから」

静かに静かに告げられる言葉は、何処か懺悔に似ていた。
聞いているだけで、哀しかった。

悩んでいたのは、俺やコタローだけじゃない。
マジックも、悩み悔いていた。

「…もういいって。
 それより、コタローの分はどうしたんだ?
 今年はあるんだろ?」

「あぁ、ポケットの中にあるよ。
 お前と一緒に渡したかったんだ」

そう言って、ポケットから小さな箱が出された。

「んじゃ、一緒に行くか」

笑って言えば、マジックも笑った。



眠ったままのコタローのもとに二人並んで歩きながら、
先のことだけを見ていたい、と思った。

だって悔いることは、もう十分に互いにしたのだから。






05.02.13〜14 Back