カタンと小さな音が、扉の外でした。 日付も変わったこんな時間に、一体誰が? 先ほど帰られたマジック様が、忘れ物でもされたのだろうか? 訝しく思いながら扉を開ければ、座り込んだ人間がいた。 Border line. 「…何してるんだ?」 子どものように床に座り込み、ぼーっと足元の床を見ているのはチョコレートロマンス。 呼びかければ、チョコレートロマンスはぼんやりと顔を上げへらりと笑う。 「あー…待ち伏せ?」 「…さっさと、ひとりだけ定時に上がって行方をくらませたくせにか?」 「…ゴメンなさい」 しおらしく頭を下げるがへらりと笑ったままでは、反省しているのかどうか怪しい。 思わず、溜息が漏れる。 「で、何のようだ?」 早く部屋に帰りたい。 それなのにチョコレートロマンスは、自分が座る床の隣をポンポンと叩いて笑う。 「まー、座れよ」 「…お前と違って、私は疲れているんだが」 「まー、そう言うなって」 言いながらも、なおも隣に座れと床を叩く。 どうにも引くつもりはないらしい。 それならば、早いところ話だけでも聞いて帰ろう、と腰を下ろす。 …が、隣に座るのは癪なので、目の前に座り込む。 「座ったぞ。 用事は何だ?早く言え」 怒気を孕んで言えば、チョコレートロマンスはへらりと笑って床に指を伸ばす。 何をしているのか、と黙って見ていれば、 自分の足元と私の足元の間を隔てるように、指で線を引く。 チョコレートロマンスは、指を床についたまま訥々と喋り始めた。 「世の中、曖昧なことが多いよな」 普段から何を考えているか解らないヤツだったが、今もよく解らないことを言い始める。 言葉を返しようがなく、 黙ってそのまま先ほど引かれた線上を行ったり来たりする指を見る。 「例えば、シンタロー様のマジック様への気持ち」 いきなり予想もしなかったことを、チョコレートロマンスがぽつりと零す。 「…何だ、いきなり」 「んー、だからさ。 シンタロー様は普段あれだけマジック様を嫌がっておられるけど、 命かけてまで守ったりしただろ? あれって、親子の愛情だけでやれるもんなのかな…。 って思ってよく見るようになったら、その狭間にいる感じがしたんだよな。 親子愛とそれ以上の愛情。 それを、行ったり来たりしてる感じ」 言いながら、なおも動かされる指を見ながら、 そんなのお前に言われるまでもなく知っている、とひとりごちた。 チョコレートロマンスはそれに気づかず、また口を開く。 「それから、お前のマジック様への気持ち」 その言葉に、思わず身体が強張る。 気づかれていた? いつから? 何処まで知っている? ドクドクと音を立てる心臓。 けれど俯いたままのチョコレートロマンスは気づかないのか、言葉を続ける。 「お前の場合は、アレだな。 尊敬と親愛の気持ちとそれ以上の気持ち。 それを行ったり来たり。 まー…、一時期マジック様もどういった想いでか知らないけど、 お前に応えてたみたいだから、余計に行ったり来たりするんだろうけどな」 目の前が、真っ暗になる。 チョコレートロマンスは、いつから知っていたのだろう。 知った上で、何も変わらなかった? 変えなかった? 思わず顔を上げたが、 チョコレートロマンスは変わらず俯いたまま、指を行ったり来たりさせているだけ。 「お…まえ、…」 いつから知っていた?、と続く言葉は、 喉がからからに乾いてしまって出てはくれなかった。 けれどその声で、漸くチョコレートロマンスは顔を上げ笑った。 「最後に、俺のお前への気持ち」 へらりと笑いながら告げられた言葉。 次から次に衝撃的なことばかりで、頭が追いつかない。 馬鹿みたいに、チョコレートロマンスを凝視する。 「最初は、同情だったんだよな。 お前って、見てて痛々しくってさ。 マジック様なんか想ったところで報われないの知ってるくせに、 それでもお前は身動き取れなくて。 そんなお前見てたら、いつの間にかそれ以上の気持ち生まれてた」 真っ直ぐに見つめてくる目。 顔は変わらず笑っているくせに、目だけが笑っていない。 「お前にとって失礼極まりないとは思うけど、 同情とそれ以上の気持ちを行ったり来たりしてる」 みんな、行ったり来たりしてる、 小さく呟いて、またチョコレートロマンスは俯いた。 「…でも」 そう言いながら、またチョコレートロマンスは床に線を引いた。 今までより強く引いたせいか、それはうっすらと跡が残る。 そして身を乗り出し、その線を踏み越える足。 それに気づいた時には、肩を掴まれ――キスをされていた。 チョコレートロマンスは触れるだけのキスをし、そっと身を離した。 目の前には力なく笑う顔がる。 それを呆然と見つめる。 「でも、俺は止めたから」 チョコレートロマンスが、真っ直ぐに告げてくる。 「曖昧なことばかりだけど、それでもどこかに境界線ってのは絶対にある。 みんながその近辺を行ったり来たりしてても、俺はそれを超えて振り返らないから」 そんな言葉を貰っても、すぐさまに信じられるわけも受け入れられるわけもなくて、 目を見開きチョコレートロマンスを視界に映す。 そんな私を見て、チョコレートロマンスは静かに笑う。 額と額をくっつけられ、息がかかるほどの距離でまた告げられる。 もう同情じゃない、と。 見開いたままの目から、温かい何かが流れた。 それは、チョコレートロマンスの気持ちを知ったからではなく、 できるわけもないのに、踏み越えるその強さが欲しいと思ったから。 ――そして、これがマジック様だったら、と愚かにも思ってしまったから。
04.11.23 『Border line.』=境界線。 ← Back