真夜中に、ベルが鳴り響く。

緊急回線ではなく、個人回線。
それも、一人しか知らない回線。






The certain night in which you are not.






そろそろかかってくる、と解っていた。
けれど解っているからといって、電話に出るのは嫌だった。

それなのに、ため息ひとつ吐くだけで電話に出てしまう自分は何故か。



「…はい」

疲れたような声が出てしまった。
けれど相手は気にせず、上機嫌にも酔った声を聴かす。

「ティラミス?
 起こしてしまったかな?
 今、外なんだけど、迎えに来てくれないかい?」

酔ってしまってねー、と笑いながら告げてくる。
から元気、と呟いても、マジック様には聴こえなかったようで、場所を告げられる。

「…解りました。
 すぐにお迎えに上がりますから、もう少し待っていてください」

まだ何か告げてくるマジック様を無視して、電話を切る。
コートを掴んで外に出れば、霧雨が降っていた。
傘を取りに帰ろうかと思ったが、
この程度なら濡れてもかまわないし、マジック様さえ濡れなければいいと思い止めた。





何故、自分は夜中の3時に元上司を迎えに行かなければならないのか。
何故、電話を与えられた時に、断らなかったのか。
苦しむと解っていて、何故断らなかったのか。

いくら考えても、答えが見つからなかった疑問を車を運転しながら考えた。
けれど、そう簡単に答えなど見つかってくれるはずもなく、
気がつけば、マジック様に指定された場所に着いてしまった。






「悪いね、ちょっと飲みすぎちゃってね」

車に乗り込みながら、マジック様が話しかけてくる。

「いいですよ、仕事ですから」

答える声は、普段と変わらず平坦なもの。
それに、マジック様が苦笑する。

「ティラミスは、仕事熱心だね」

その言葉は、聴かなかったことにする。


今この行為が、果たして仕事の範疇に入るのか解らない。
個人的な回線で夜中に呼び出され、迎えに行く。
これは仕事なのか、私事なのか解らない。


車を発進しようとキーに手をかければ、マジック様の手が髪に触れた。
振り向けば、静かに笑うマジック様の顔が。

驚きで声が出てくれず目を見開いて見つめれば、濡れている、と言われた。


「…雨が、降っていたんですよ」

いつの間にか止んでましたが、と言ったところで、マジック様は髪に触れる手を離してくれない。
それどころか軽く引っ張られ、距離が近づいてしまう。

触れ合いそうな距離。

静かに笑うマジック様。
その目に映る驚いているくせにそれが見えない、無表情な自身。






「…キス、しますよ?」

気がつけば、酷く感情のこもらぬ声で訊いていた。
マジック様は苦笑しながら、いいよ、と答えた。

髪を触れていた手が、頬へと移る。
目を閉じ、距離を埋められる。

けれど触れる寸前に――

「シンタロー様に、言いますよ?」

変わらず平坦な声で、そう言っていた。
マジック様の動きが止まり、目を開け苦笑した。

「…黙っていれば、解らないよ」

「私が言いますよ」

目を見据え、言った。
マジック様は、苦笑したまま言葉を返す。

「ティラミスが、言い出したことなのに?」

マジック様の目に映った無表情な自分を確認しながら、えぇ、と頷けば、
頬を触れていた手を離される。

「ティラミスは、一体何がしたいのかな?」

視線を外に向けられ、静かに呟かれる。
答えることなどできず、無言でキーを回し発進させた。





何がしたい、と訊かれたところで、答えが見つからない。

触れ合いたいのか、と言えば違う気がする。
マジックさまが愛しているのは、シンタロー様ただひとり。

それは、嫌と言うほど解っている。
今日マジック様が外にひとりで飲みに行かれたことも、私が呼び出されたことも、
シンタロー様が遠征に行かれ2週間も帰ってきていないからだ。

私は、代わりですか?

問うたところで、マジック様は静かに笑うだけで答えなど出してくれないだろう。
いっそのこと代わりだと言い切ってくれれば、こちらにも出方があるのに…。

けれど実際にそう言われたら、自分はどう出るのだろう。
それでもいいと、愚かにも思うのか。
それとも、見限って諦めることができるのか。


結局、マジック様と私との位置づけは答えが出ぬまま。
――けれど解ったことが、唯ひとつ。






私は、後悔をされたくないらしい。

キスをしたい、と思ったのは、事実。
けれどそれ以上にキスをしたがために、マジック様が後悔をする姿を見たくないのだ。


シンタロー様と気持ちが通じ合っていなかった頃とは違う。
あの頃は、マジック様は気軽に遊んでいた。
決して、シンタロー様が手に入らないと思っていたから。

でも、想いは通じ合った。

そしてマジック様はらしくもなく、誠実になった。
シンタロー様に関してのみ。

だから、今日もひとりで飲みに行ったのだろう。
適当に女を見つけ、一夜を明かすことなく私を呼び出したのだろう。

そんなマジック様が、私とキスをしたら?
後悔するに決まっている。
例え酔いに任せて了承したと逃げ道が僅かに残された状態だとしても、
本当は酔いなどとっくに醒めているのだから、絶対に後悔する。

それが、嫌だったんですよ。






チラリとミラー越しにマジック様を伺えば、気づいたのか苦笑された。
もう酔ったふりは終わったらしい。

窓に腕を付き頬杖をしたまま、呟かれる。

「私は、お前が解らないよ」

静かに見つめてくるその目を見つめ、言った。

「私は、あなたのほうが解りませんよ」

一体どういうつもりで、電話を渡したんですか?
どうして私を呼び出すんですか?

そんな思いを込め呟けば、マジック様は口元を歪め笑った。

「…確かに」

答えを貰えなかった。
いや、答えなどないのかもしれない。
私と同様に、マジック様も解らないのかもしれない。

数瞬ミラー越しに無言で見つめあった後、ゆっくりとマジック様は視線を外へと戻す。
そして私も、前方へと集中する。




「…シンタロー、早く帰ってこないかな」

独り言のように呟かれたその言葉に、静かに返した。

「そうですね。
 早く帰ってきてくださいませんかね」

私が返事をしたことが意外だったのか、小さくマジック様が笑う気配が伝わった。

そして視界に入る、本部のビル。
この答えの出ぬ関係とも、この何とも言えぬ空気とももうすぐで別れられる。





シンタロー様、早く帰ってきてください。


でないと私とマジックさまは、出口のない迷路に迷い込んでしまいますよ。
あなたがいないと、考えたくもない答えの出ぬ疑問が浮上するばかり。

マジック様があなた以外のことを考えぬように。
そして私が、そんなマジック様を見ることで余計なことを考えなくてもいいように。






04.10.28 『The certain night in which you are not.』=あなたがいない或る夜。 Back