Hydrangea.

隣にあるはずの体温が感じられず目を覚ませば、 案の定サスケはおらず、重い身体を引きずるように起きだす。 広い家屋は暗がりの中いっそう静けさをもたらし、雨の降る音だけが静かに響き渡る。 足音を消すことなく、勝手知ったる他人の家を家主を探して彷徨う。 一部屋、一部屋探しても、なかなか目当てのサスケは見つからない。 それでもこの静けさの中、声を出して名を呼ぶのは憚られ、しらみつぶしに扉を開けていく。 最奥の部屋で、漸く見つけた。 縁側に座り、雨の降る庭先を見ている。 電気はつけておらず、そばに置かれた蝋燭のほの暗い明かりだけが光源。 白い服を着ているサスケは、 その炎のせいでぼんやりと浮きあがっているようで、それはまるで幽霊のよう。 「サスケ、何をしているの?」 問えば、視線をこちらに向けてくることなく簡潔に答える。 「紫陽花」 視線の先を辿っても、蝋燭の灯りは庭を照らしだすほどには明るくはなく、 なんとなく紫陽花らしきものが見える程度。 「面白い?」 禄に見えぬものをこんな夜中に見て、何が楽しいのだろうか。 呆れ半分で訊いた。 「別に」 「だろうね」 相変らず、視線を寄越すことなく簡潔に答える。 ひとつため息を吐いて、部屋に戻るように促す。 サスケは振り返り、じっと見詰めてきた。 「…何?」 「紫陽花って、アンタと俺みたいだよな」 先ほどとは打って変わって、逸らすことなく告げてくる。 「何が?」 問うたところでサスケは答えず、蝋燭の火を消し立ち上がる。 擦れ違いざまに小さく、花言葉、という声が聞こえた。 サスケの言葉が気になって、 花に詳しそうな紅に紫陽花の花言葉を訊いたら、変な顔をしつつも『移り気』だと教えてくれた。 移り気、ねぇ。 それが何を言いたいのかは解る。 サスケに手を出しながらも、他の女と切れてはいない自分のことだろう。 けれど、それは自分に言えるのであって、サスケには当てはまらない気がする。 サスケと移り気という言葉が結びつかない。 サスケほど馬鹿みたいに一直線な人間を、自分は知らない。 梅雨入りしたせいで、今日も雨。 任務がないせいで暇を持て余し、サスケの家へと歩く。 インターホンも押さずに勝手に上がりこみ、サスケを探す。 なんとなく、縁側でまた紫陽花を見ているのだろうと思って行けば、 予想通りにそこにいて、ぼんやりと眺めている。 「花言葉、聞いたよ」 挨拶もせずにそれだけを言うと、ゆっくりと振り返ったサスケと目が合うが、 サスケは何も言わず、視線で先を促す。 「『移り気』だってね。嫌味?」 笑って言えば、サスケも少しだけ笑った。 何となく、自嘲を含んでいるように思えた。 「そんなんじゃ、ねぇよ。  ただ、思っただけだ」 「あっそ。  でも、俺には当てはまっても、お前には当てはまらないんじゃないの?」 サスケはそれには答えず、また庭先に視線を戻した。 この前とは違い、雨が降っているとは言え昼間のためまだ明るいせいで、 サスケの小さな頼りない背中とか、庭先に咲く青い紫陽花とかが見えてしまって、 何か居たたまれなくなってその場を後にした。 サスケも何も言わなかった。 雨に濡れながらぼんやり歩いていると、紅と出会った。 傘も差さずに歩いている自分に、馬鹿ねえ、と笑ったけど、傘に入れてくれない。 「入れてくれてもいいんじゃないの?」 拗ねたように言ったけれど、 「濡れたい気分なんでしょ」 と、笑って言い返されて、そうなのかもしれない、と納得した。 「そう言えば、紫陽花の花言葉なんだけど、もうひとつあったわよ」 「え?」 「ほら、アスマの班に花屋の子どもいたじゃない。  あの子にこの前会った時に聞いたら、もうひとつあるって教えてくれたの」 「何、それ?」 「『耐える愛』」 紅は笑いながら言った。 けれど、自分は笑えなかった。 「カカシ?」 怪訝に聞いてくる声を無視して、踵を返してもと来た道を走り出す。 紫陽花の花言葉は、ふたつ。 ひとつは、『移り気』。 それはまぎれもなく、自分のこと。 そしてもうひとつは、『耐える愛』。 それはまぎれもなく、サスケのこと。 自嘲気味に笑ったサスケの顔が思い出される。 どうしようもないのだと、笑って受け止めていた。 あんな子どもにあんな顔をさせる自分。 何をやっているのか―― 息を切らして、サスケのいる縁側へと入り込む。 サスケはゆっくりと振り返る。 「ごめん」 考えるより先に、口が動いていた。 「何が?」 問われても答えることもできぬまま、小さな身体を抱きしめた。 抱きしめた細い肩越しに、雨で揺れる紫陽花が見えた。 「ごめん」 もう移り気なんて起こさないから、とか、 もう耐えなくていいから、とか、 言うべき言葉はあるというのに、そんな言葉は出てはくれず、 ただ繰り返し、繰り返し、ごめん、と呟いた。
2004.05.29 『Hydrangea.』=紫陽花。 相反した素敵な花言葉を持つ、紫陽花に拍手。 サスケの家はあのゴージャスマンションではなく、旧ウチハ邸で。 気配で場所探れるよ、という突っ込みはなしの方向で。
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