「好きだ」とか、「愛してる」だとか、その言葉が何になるというのだろう。
でも、アンタは本当にそんな言葉が欲しかったんだな。






現実の夢
久しぶりにカカシと会った。 いや、久しぶりどころじゃない。 1年以上ぶりだ。 暗部に配属になってから、一度も会ってなかった。 カカシは、俺に忍を辞めて欲しがってたから。 危険が伴う仕事が多くなるたびに、カカシは『言葉』を求めるようになった。 何度も、何度も、『好き?』とか、『愛してる?』とか訊いてきた。 それはもちろんそうなのだけど、どうしてもその言葉が言えなかった。 だって、言葉に何の意味がある? だから、その言葉には碌に答えなかった。 そうしたら、カカシは忍を辞めろと言い始めた。 それから言い争いが絶えなくなって、カカシから逃げるように長期の任務ばかりを入れるようになった。 そして気がつけば暗部に配属されて、そのまま今に至った。 玄関の前に座り込んでいるカカシ。 疲れきった姿。 俺に気づき、ゆっくりと顔を上げる。 そして、笑う。 「血の匂いがするね」 久しぶりに会って、第一声に言うことがそれか…。 「…暗部の仕事だったからな」 「そう」 カカシは、ふわりと笑った。 「上がっていい?」 「…」 無言で玄関の鍵を開ける。 『上がっていい?』なんて、初めて聞く言葉。 昔は何度注意しても、窓から勝手に入ってたくせに。 長らく空けていた家には碌な食料はない。 僅かばかり残っていた茶葉で適当にお茶を入れる。 「何しに来たんだ」 「うーん、お別れを言いに…かな?」 何に対しての? 俺たちの曖昧な関係に? いや、それは終わったはずか…。 カカシは少し困ったように笑っている。 決して、こいつは目を合わそうとしない。 昔から、そうだった。 俺はちゃんと目を見て、アンタと話したかったのに。 「別れ?」 「うん。  俺、今度結婚するんだ。  その子、遠い処に住んでる。  だから、もうお前とは会えない」 お茶を飲もうと伸ばした手が、一瞬不自然に止まる。 けれど、訊きたいことがある。 「…それって、何に対しての別れ?」 カカシが曖昧に笑う。 「いろいろ」 「…相変らずだな」 カカシは苦笑する。 アンタ、相変らずだよ。 自分で全部結論付けてしまう。 俺の意見なんて訊かずに、自分で何もかも決めてしまう。 それなのに、核心を俺には言わない。 いつも曖昧に笑って誤魔化すだけ。 俺だって、言いたいことあったんだよ。 なのに、アンタは俺から逃げた。 俺が大人になって、譲歩すればよかったのかもしれない。 けど、アンタ大人だろ? そのへん察しろよ。 気づいてたんだろ? 逃げんなよ…。 でも、今はあの頃とは違う。 アンタは変わっていないのかもしれないけれど、俺は少しだけだけど成長した、と思う。 だから、譲歩してやるよ。 じゃないと、アンタ本当にまた俺から逃げるんだろ? 「そいつのこと、好きなのか?」 「うん、好きだよ」 幸せ絶頂期にいるはずなのに、困ったように笑う。 その理由は? 「愛してるのか?」 カカシが驚いたように目を大きく見開く。 けれど、そんなことは無視して、もう一度訊く。 「愛してるのか?」 カカシは少しだけ寂しげに笑った。 それから、珍しく、それは本当に珍しく、俺の目を見てしっかりと言った。 「うん。愛してるよ」 きっぱりと言い放たれた言葉。 それは、もう本当に真摯な目で告げられるものだから、 俺は馬鹿みたいに勘違いして、赤面するところだった。 けれど、その衝動を何とか押しとどめる。 だって、この言葉が誰に向けられているのか、ちゃんと聞いていない。 だから、馬鹿みたいに平静を装って、話を続ける。 「そいつも、アンタに『愛してる』って言うのか?」 カカシは、また困ったように笑った。 そして、視線を逸らし、静かに首を振る。 「言ってはくれないよ。  でも、いいんだ。  その分、俺が言えばいいだけだから」 「何で…っ!」 それを聞いて、平静なんてもう装ってられなかった。 思わず身を乗り出したら、ちゃぶ台の上の湯のみからお茶が零れた。 カカシは驚きもせず、困った表情で俺を見上げ笑った。 「いいんだよ。  俺は、それで幸せだから…」 そう言って、カカシは静かに立ち上がり、玄関へと向かう。 ちゃぶ台に零れたお茶が、畳へぽたりぽたりと小さな染みを作り落ちていく。 重力に逆らうこともできず、静かに畳へと落ちていくお茶。 遠くでパタンというドアが閉まる音が聴こえた。 我に返り、後を追う。 昔と変わらない、猫背の背中。 「カカシ!」 カカシの足が止まる。 でも、振り返ってはくれない。 走りより、腕を掴み無理矢理向き合う。 「カカシ!  何で!?」 カカシは何も言わず、困ったように笑う。 「いいんだよ、もう」 「俺がよくない!  俺は、嫌だ」 カカシが宥めるように頭を撫でる。 その手を払いのける。 「何で?  結婚するやつ、お前に何も言ってくれないんだろ?  だったら…」 カカシの腕を掴んでいる手が、小刻みに震える。 声も、震える。 けれど、それでも言わなくては気がすまない。 「だったら、俺じゃダメなのかよ!?」 カカシは寂しそうに笑った。 「サスケは、忍を辞めれないでしょ?」 それを言われたら、何も言えなくなる。 本当に、何も、言えなくなる。 悔し紛れに呟いた言葉。 「そいつは、忍じゃないのかよ」 「…今はね」 少しだけ嬉しそうに、でも、どこか影のある笑顔。 「アンタのために辞めたのか?」 「う〜ん、まぁそんな感じかな」 カカシの腕を掴んでいた手から力が抜ける。 その手を取って、カカシはゆっくり手を離す。 「俺、そろそろ行くから…」 カカシの顔を見ることが、もうできなかった。 顔を上げると情けないことに、涙が落ちることが解ったから。 でも、まだカカシと離れたくなくて、言葉を捜す。 「なぁ、そいつの名前は…?」 何を訊いているのだろう。 そんなことを訊いてもどうにもならないというのに。 カカシの手が、俺の頬に触れる。 懐かしい体温に、心臓が跳ねる。 顔を上げる。 眦にあった涙が数滴落ちる。 それをカカシの指が拭う。 ゆっくりと近づいてくるカカシの顔。 触れるか触れないギリギリの処まで近づく。 その間、ずっとカカシは視線を逸らしていない。 ――それを、何故か怖いと思った。 「名前、訊きたいの?」 痛いほど見つめてくるその目は、 何処か狂気じみていて、声を出すこともできず頷いた。 カカシから視線を外すこともできず、その目に捕らわれたまま、静かに頷いた。 「   」 何? 聴こえない。 カカシの顔を食い入るように見つめる。 カカシはにっこりと笑った。 「聴こえた?」 首を振る。 相変らずワケの解らない恐怖と、カカシの狂気じみた目に圧倒され声が出ない。 カカシが困ったように笑った。 「仕方ないな。  もう1回だけ、言うからちゃんと聴いていてね」 ゆっくりと頷く。 カカシは、またにっこりと笑った。 「サスケ。  うちは、サスケ」 はっきりと聴こえた名は、自分の名だった。 頭がガンガンと警鐘を鳴らす。 身体から一気に血の気が引く。 震え出す、身体。 「…っ」 声にならない声が、漏れる。 その間、カカシは笑ったまま。 「聴こえた?」 震える身体を押さえ込み、なんとか頷く。 「そう。よかった。  じゃ、俺行くね。  サスケが待ってるから――」 そう言って、カカシは背を向け去っていった。 俺はただ、小さくなっていくその背中を見送ることしかできなかった。 猫背のその背中を追うこともできず、ただ、見送るしかできなかった。 どうしたら、よかった? あの時、ちゃんと言葉にしていればよかった? あの時、アンタから逃げなければよかった? ――なぁ、どうしたらよかった?
2003.08.11〜09.09 11.12 微妙修正
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