「海に行こうか」

突然、カカシが言った。
窓を振り返れば、外は雪が舞っている。

「…雪、降ってんだけど?」

「そうだね。
 でも、粉雪の降る海もいいと思わない?」

そう言って笑うカカシに溜息ひとつで了承し、コートを着込んだ。

「いやに、素直じゃない」

「アンタ、俺が嫌って言ったところで、無理矢理にでも連れて行くんだろ?」

「…確かに」

カカシは苦笑で答えた。






海に降る雪
冬で、しかも雪まで降っている海なんて、当たり前のように誰もいない。 ふたり無言で砂浜を歩く。 荒れた波が押し寄せる。 「寒い?」 「寒い」 「じゃぁ、手を繋ごう」 ギュっと握られる手。 いつもなら振り払うのに、今日は振り払えなかった。 ここにいるのは、俺とカカシのふたりだけ。 聴こえるのは、風と波の音。 世界は、俺達だった。 他のモノは存在しなかった。 だから、手を握ることを許せた。 手を繋いだまま、また無言で歩き出す。 頬が、耳が、千切れそうなくらい痛いのに、握り合った右手だけが温かかった。 このままこの温もりに溶け合ってしまえたらいいのに。 そう思っていたら、カカシが立ち止まった。 海を真っ直ぐ見据え、立ち止まった。 それからゆっくりと手を離し、水の抵抗も感じさせず海の中へと進んで行く。 俺はそれを見ていた。 止めることもできず、ただその後姿を見ていた。 水面が腰のあたりになった時、カカシはゆっくりと振り返った。 手を伸ばし、俺を呼ぶ。 「サスケ、おいで。  一緒に行こう。 ふたりで、行こう」 首を振る。 泣き出しそうで、声なんて出なくて首を振った。 「サスケ、行こう?」 「…ない。  行けないよ、カカシ」 「サスケ」 行こう。 アンタは何度も呼びかける。 ゆっくりと、穏やかに呼びかける。 「サスケ」 何度めかの呼びかけに、もう我慢ができなかった。 カカシの元に走りよる。 すべてが、邪魔する。 波の抵抗も、水を吸い込んで重くなる服も、すべてが邪魔をする。 アンタは何の抵抗も感じさせず、そこにいるというのに、俺はそこに行くのが必死。 漸く、カカシのもとに辿り付き、伸ばされた手を、取った。 「サスケ」 カカシが微笑する。 でも、俺は笑えない。 その手をしっかり握り締め、カカシを見据える。 「俺は行けない。  行けないんだよ、カカシ」 カカシの顔が一瞬歪み、天を仰ぐ。 なおも俺は続けた。 「カカシ、行けないんだ」 行きたいけれど、行けない。 その想いは、口には出せなかった。 たぶん、カカシはその想いに気づいていた。 でも、それでも『一緒に行こう』と言ってくれた。 逃げ出せない道を進んでいると知っている、 死ぬまで自分は、この道を生きていかねばならない。 死すらも選べない道を、生きていかなければならない。 選んだのは、自分。 でも、それでも捨ててしまいたい時もある。 『一緒に行こう』 その言葉は、 俺のための言葉であり、アンタ自身のための言葉であり、決して俺が選べない言葉。 この手を取って、先には進めない。 それは望むことであり、できないこと。 けれど、この手を取って、戻ることはできる。 でも、アンタをおいてひとりで戻る気も、アンタをひとりで行かせる気もない。 この手をおいて、後にも先にも進めない。 どうすればいいか、解らない。 アンタの手を取り、ただ立ち尽くした。 仰ぎ見れば、目を閉じ何処か祈るように顔を歪ませるアンタがいて、 何も言えなくて、選べなくて、馬鹿みたいにアンタに抱きつき縋った。 カカシは何も言わず俺を抱きしめた。 このまま時が止まって欲しかった。 このまま消えてしまいたかった。 ここにいるのは、俺とカカシのふたりだけ。 聴こえるのは、風と波の音。 世界は、俺達だった。 他のモノは存在しなかった。 体温を奪っていく空から降る雪。 体温を奪っていく水の冷たさ。 アンタと抱き合って共有する部分だけが、唯一の熱。 このまま後にも先にも進まず、消えてしまいたかった。
2003.10.29〜11.01
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