夢想花

任務の帰り道、里からかなり離れた野原で子どもが賊に襲われているのを見つけた。 面倒くさかったが、見つけてしまったので仕方なくそれを助けた。 けれど、勢いあまってその賊を殺してしまった。 そして、その血は幼い子どもの顔に降りかかる。 目を見開く子ども。 泣き叫ぶか? そう思ったものの、子どもは泣き叫ばない。 ただ、血塗れた自分の頬を拭い、その手を見つめる。 それから俺を見て笑い、降り積もっていた雪に血を擦りつける。 雪はまだ温かい血を吸い、赤く染まる。 それを見てまた子どもは笑い、再び頬に手をやり、それを雪へと擦りつける。 異様な、行動。 「…何を、してるの?」 子どもはゆっくりと振り返って笑う。 「綺麗だろ?  椿が散ってるみたいで」 「椿?」 「そう、椿。  俺の家の庭に咲いてるんだ。  真っ赤な椿。  昔見た庭の椿と同じ。  雪の上にポツポツと赤い椿が落ちてた」 綺麗だろ? そう笑って訊く子どもは純真無垢で、異様ななことをしているというのに綺麗だった。 「椿、好きなの?」 「うん。好き。  兄さんみたいだから」 嬉しそうに笑う子ども。 「兄さん?」 「うん、兄さん。  兄さんも綺麗なんだよ」 「そう」 「あぁ、アンタにも似てるね」 「俺?」 「うん。  アンタも、椿みたい」 そう言って、また笑う。 死体を横に暢気な会話をするふたり。 だが、その間にも降り出した雪は少しずつ吹雪はじめ、 この現実離れした状況を終わらせざるを得なくなる。 「吹雪いてきたし、そろそろ帰ろうか。  送っていくよ。家はどこ?」 子どもは顔を曇らす。 それから小さく、うちは屋敷、と言った。 「え?」 あまりの事実に驚く。 うちは一族は、一ヶ月程前にたったひとりを里に残して滅んだ。 イタチが弟以外の者を皆殺しにしたから。 そしてその残された子どもは精神に異常をきたしてしまい、病院に入れられたと聞いている。 その子どもが、目の前にいる子どもなのだろうか。 何も言わず、凝視されていることに居心地の悪さを感じたのか、子どもは視線を逸らしたまま呟いた。 「兄さんの忘れ物を届けようとしたんだ。  でも、雪降ってきて、道解らなくなって迷ってたら…」 言葉を濁す子ども。 迷ってたら、賊に襲われて俺に助けられたってワケね。 でも、この子どもは解っているのだろうか、イタチが自分を置いて出て行ったことを。 それも御丁寧に、一族皆殺しなんて残虐なことをして。 兄貴は戻って来ないんだよ。 ふと見れば、忘れ物を届けようとした、と言うがこの子どもは何も持っていない。 すぐ傍で息絶えている男を見ても、何かを奪い取った形跡は無い。 恐らく、『忘れ物』というのは、自分自身のことなのだろう。 そう思うと、あまりにもこの子どもが哀れだった。 「…そう。  でも、お兄ちゃん見つからなかったんでしょ?  それなら、帰ろう。  送っていくよ」 手を差し伸べると、子どもは戸惑いを隠せない瞳で覗き込んでくる。 「もっと吹雪いてきたら、帰れなくなってしまうよ」 それでも、子どもは手を取ろうとしない。 仕方なくその手を掴む。 怖がらせないように、そっと。 子どもは何か言いたそうにこちらを見た。 「どうしたの?」 「まだ、兄さんを…」 見つけていない、と俯いて小さく呟く。 小さな頭が頼りなげに揺れている。 その頭に手を置く。 「でも、君が迷子になったら、お兄ちゃんも困っちゃうんじゃないの?」 我ながら、何て意味のない言葉を吐くのだろう、と思ったものの、 予想に反して子どもは勢いよく顔をあげ、泣き出しそうに潤んだ瞳を見せた。 その目が何を語っていたのか知らない。 俺が言ったことを本気で信じたのか、 それとも、どこかで現実を解っていて、 何、有り得ない酷いことを言ってるのだ、と思ったのか、そんなことは解らない。 ただ子どもは、数回瞬きをして静かに頷いた。 市街地へ向かう道中、子どもも一言も話さなかったし、俺も話さなかった。 ただ、子どもは俺の手を静かに握って、俯いて歩いていた。 市街地が近づくにつれ、疑問が生じる。 送るとは言ったものの、何処に送っていけばいいのだろうか。 子どもに家を訊いた時、うちは屋敷、と答えた。 けれど、うちはの生き残りであるこの子が本当に今いる場所は、木の葉病院の特別病棟のはず。 どうしたものか…。 そう思っているうちに岐路に立たされた。 目の前には分かれ道。 右を選べば市街地に進み、木の葉病院へと通じている。 左を選べば未だ血の痕が消えない荒れた街に進み、廃墟と化したうちは屋敷へと通じている。 さて、本当にどうしよう。 小さな子どもに目で問えば、握った手に力を加え左の道を見据える。 そちらを選んだとしても、そこには思っているような場所はもうない。 そのことをこの子どもは知っているのだろうか。 それでも、あえて見たいとでもいうのだろうか。 それだったら、まだいい。 でもこの子どもは、精神を病んだという。 それなら、恐らく惨状の痕が色濃く残った廃墟があるとは思ってもいないだろう。 それでも、行くのだろうか。 「家に帰りたいの?」 左の道に向けられていた視線がこちらに向かう。 「その道を登ったとしても、何もないよ」 漆黒の瞳が僅かに揺らぐ。 「君のお父さんもお母さんも、一族の人たちみんないないよ。  ――君のお兄さんも、いないよ」 それでも、選ぶの? 子どもはゆっくりと左の道へと視線を向け、それからゆっくりと俺を見て頷く。 その目に異常なものなど何も映っていない。 ただ純粋なものだけが、そこにある。 それこそが、狂気になり得るものだと知っていたけれど、それでもやはり、その目は綺麗だった。 だから、子どもの手を強く握って、左の道へと足を進める。 子どもは小さなその手で、俺の手を強く握り締めた。 うちはの街に近づくにつれ、酷い臭いが充満してくる。 血の匂い、腐敗臭、死体はすべて焼却されたとはいえ、それでも匂いが混ざり合う。 一ヶ月以上も前のこととは思えないほど、臭いは残っていた。 そして、至るところに黒く変色した血の痕。 その中をふたりで通り抜ける。 走るわけでもなく、ただ真っ直ぐ前を向いて通り抜ける。 次第に街を通り抜け、閑静な住宅街を抜け、うちは屋敷に辿り付いた。 空はもうすっかり暗い。 吹雪はおさまりただ月明かりの下、牡丹雪が静かに舞い散る。 子どもの手に僅かに力が入り、見上げられる。 その目を何も言わずに見つめ返す。 ありがとう、子どもはそう言って駆け出した。 父親と母親が死んでいたという部屋に行くのだろうと思ったのだが、 予想外に子どもは玄関に向かわず庭へと駆け出した。 その小さな背中を追う。 庭の片隅に子どもは立っていた。 寒椿の生垣を見上げて、微動だにせず立っている。 雪の白の中、寒椿の紅だけが、色彩を放つ。 それを仰ぎ見ているその後姿は痛々しい。 サクリ、小さな音を立てて雪の上を歩く。 サクリ、また一歩子どもに近づく。 あと数歩という所まで近づいた時、子どもが振り返る。 振り返った子どもには、先ほどまであった僅かばかりの子どもらしさが消えていた。 静かな目が、そこにあった。 その目に見つめられる。 「アンタ、忍だよな?」 「そうだよ」 「クナイ…」 「何?」 「クナイ持ってる?」 「持ってるけど?」 「貸して」 そう言って手を伸ばす。 「何に使うの?」 「誓い」 「誓い?」 「忘れないため」 何を? なんて訊くほど馬鹿ではない。 クナイを取り出し、投げる。 それは弧を描いて子どもの小さな手におさまる。 「ありがとう」 子どもは笑い、クナイを手のひらにあて掻っ切った。 血がポタリポタリと落ち、紅い染みを作る。 雪の上に落ちたそれは、隣に転がる寒椿と同じ色を放つ。 子どもの肩が小さく震える。 ポタリポタリと、赤い染みの横に、透明な染みが広がる。 その姿を見て、哀れんだ。 その姿を見て、この子どもも椿だと思った。 子どもが言うように、鮮やかな色彩を放つ椿だと思った。 なのに、どうして…。 どうして、今のお前は埋もれてしまった。 あれだけ、色彩を放っていたというのに、どうして埋もれた。 ねぇ、サスケ。 あの時のお前は、確かに椿だったよ。 だから、もう一度、色彩を放ってよ――
2003.07.30〜12.13 2004.02.29 微調整。 夢想花=寒椿の一種。
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