ずっと待たせてた。 元に戻って告白して付き合うようになっても、蘭はいつもどこか不安を感じてるようだった。 だから、プロポーズをした。恋と愛の違いなんて
「別れよう」 言われた言葉の意味が解らなかった。 「…冗談、だろ?」 「冗談で言うワケないじゃない」 そうだけど、信じられない。 だって、ずっと待っていてくれたのだ。 「もう、待たせないぜ?」 事件に出て行くことは譲れないけれど、 それでもいつ帰ってくるか解らないようなことは控えられるはず。 「そういうことじゃないよ」 もっと根本的なことだよ、と少しだけ泣きそうに蘭が笑う。 「新一は私を愛してくれてるけど、私に恋してくれてない。 それでもいいかなって思ったけど、それじゃダメだって思うから。 だから、別れよう」 「愛してるぜ?」 それは今、蘭だって認めた。 「だから、それはちゃんと解ってる。 でも、恋してくれてない。 新一の私への愛って、家族愛だと思う。 恋愛からの愛情じゃないんだよ。 愛してくれてること自体は凄く嬉しいけど、 どこからくる愛情か解れば、私には辛いモノでしかないの。 だから、結婚できないよ」 「…意味が解らない」 何を言われているのか、全然理解できない。 呆然とする俺に、蘭がやっぱりまだ泣きそうな顔で笑う。 「新一が誰かに恋したら解るよ。 全然違うって解るから。 その時、会おうね。 暫くは会いづらいから、ごめんね」 じゃあ、と逃げるように蘭は去っていった。 俺はどうしようもできず、ただ呆然とその後姿を見ているだけだった。 つくづく、友人がいないと思う。 こんな時、ひとりでいたくないと思うのに思いつく相手が禄にいない。 園子は蘭の相手をしているだろうし、灰原にはこんなこと言うに言えない。 服部は俺以上に恋愛に疎そうで無理で、他に思い当たるのはひとりしかいなかった。 けれど、いつだって会える相手じゃない。 それでも偶然、今夜は予告日であり、 事前に二課から解読を要請されていた予告状から逃走経路を割り出していた場所で、来るはずの相手を待っている。 「こんばんは、名探偵」 遠のくパトカーのサイレンと共に舞い降りた、白い鳥。 「ご機嫌うる…」 続く言葉が途切れ、駆け寄ってくる相手をずれる視界の中で見ていた。 崩れ落ちる寸前、抱きとめた相手の素早さに感服する。 「名探偵? 何もこんな状態でいらっしゃらなくても…」 優雅な物腰で抱きとめるくせに、声には焦りが滲む。 「…聞きたいことがあったんだ」 声が、掠れていた。 日中は暖かくなったとは言え、夜は冷え込む。 それでなくとも面倒がって薄着でいた昼間からずっと、深夜と言える今までこの場所にいたのだ。 精神的ショックも重なり、体調を崩すことは解りきっていた。 それでも、どうしても聞きたいことがあったのだ。 「お前、好きなヤツいる?」 一瞬息を呑み、間近に見える目が大きく見開かれた。 それからゆっくりと息を吐き出し、告げられる。 「いますよ」 目は逸らすことなく、俺を捕らえていた。 真摯な目が、嘘偽りではないと告げてくる。 「それってさ、恋? それとも、愛?」 突然すぎる言葉に、怪盗が訝しがるように眉を寄せる。 あぁ、いきなりこんなこと言われても解んねぇよな。 「今日、蘭にプロポーズしたんだ」 再び目は見開かれ、何故か抱きとめていた腕はビクリと震えた。 「…早いって思うか?」 元に戻って数ヶ月。 高校を卒業したばかりで、 あと数週間すれば大学に入学するだけの社会的地位もないただの18歳。 あまりの早さに、怪盗は驚いたのかもしれない。 「ずっと待たせてたから。 婚約して大学卒業したら結婚を、って考えたんだ。 でも、振られた」 「…名探偵」 哀れんだのか、ぎゅっと抱き締められた。 同じ男なのに嫌悪感を抱かないのは、体調を崩して回らない思考のせいだろうか。 それとも、敵対する関係にありながらも認めた相手だからだろうか。 あぁ、でも、犯罪者のくせに嫌いじゃなかった。 罪を犯しているけれど、 人を食ったようなパフォーマンスをしてくれるけれど、 それでも、譲れない目的の元にそれをやっていることを知っている。 ひとりで戦う姿は、強いと思った。 そして今、 よく解らないけれど、この温もりに救われていることは確か。 「蘭に言われたんだ。 俺はアイツを愛してるけど、アイツに恋してないって。 家族愛でしかないって。 何だよな、意味解んねぇっつーの。 俺がアイツを愛してる、ってそれだけじゃいけねぇのかよ。 いつだって真実はひとつのはずだろ?」 俺は、蘭を愛している。 真実は、そのひとつだ。 なのに、恋って何だよ。 本当にワケ解んねぇ。 「なぁ。 お前の好きって、恋してるって意味の好き?」 ゆっくりと抱きしめていた腕が緩められる。 そのせいで、再び間近に見えるようになった紫紺の目。 「恋してますよ。 それから、愛してます。 私の一方的な想いでしかないのですが、私はその方をどうしようもないほどに好きですよ」 先ほどと同様に逸らすことなく告げられた言葉は、 真摯な目と、近すぎる距離と、働かない思考のせいで、まるで自分に言われているように思える。 それでも、嫌悪を抱かないのが不思議でならず、 また、そう言わしめる怪盗の相手に、 嫉妬にも似た感情を起こしそうで、そんな自分を少しだけ笑った。 「名探偵?」 「いや、お前にそこまで想われる相手がいるなんてな。 しかも、まだ一方的なんて信じられねぇって思っただけだ」 物腰柔らかな紳士で、頭の回転も速い。 モノクルただ一枚に遮られただけの顔を見ても、決して悪いものではないことが解る。 そんな相手に落ちない相手がいるとは到底思えない。 「…伝えてませんから」 「…そっか」 それなら仕方がない。 危険な立場にあるが故に、相手には告げる気はないのかもしれない。 伝える気がないというのなら、きっとこの怪盗は上手く自分の想いを隠すのだろう。 「なぁ、恋するってどんな感じだ?」 自分は蘭に恋をしていたと思っている。 淡い想いは初恋だったと、信じて疑わない。 けれど今、なんとなくだけれど、 真摯に見つめてくる目の前の怪盗を見ていると、初恋と恋は違うモノかもしれないと思ってしまった。 誰かを思うことで、見ていて切なくなるような目を俺はきっとしていなかった。 「…苦しいですね」 告げてくる怪盗は、言葉通りに辛そうな顔をした。 「苦しいのか?」 「えぇ」 頷く怪盗を見ながら、自分を振り返る。 蘭を好きなことで苦しかったことってあったっけ? 考えて、愕然とする。 心配をかけることに対して苦しいと思うことはあった。 それでも、好きだという理由から苦しいと思うことはないに等しい。 「…他には?」 震える声で聞いた。 「傍にいたい。抱きしめたい。触れたい。 できるのならば、ずっと」 静かに答えた怪盗は、無理でしかないけれど、とでも言いたげに切なそうに笑った。 そんな顔を見せられて、何故か心臓が軋む音を伝えてきながらも考える。 蘭に対して、傍にいたいとか抱きしめたいとかは思っていた。 でも、触れたいとは、思わなかった。 その証拠に、蘭をそういった意味で欲しいとは思わなかった。 高校生と言うやりたい盛り真っ只中と言っても過言でない時期なのに、一度足りとも。 それが、答えのすべてではないと解っている。 けれど同時に、重大な理由のひとつであると気づいてしまった。 家族は、愛情の対象となり得る。 でも、肉欲の対象とは成り得ない。 「…そっか」 呟けば、乾いた笑いが漏れた。 笑うしかない。 「名探偵」 慰めるように、優しく怪盗が抱きしめてくる。 その強くも弱くもないその力に、プライドを忘れて少し泣きそうになる。 そして、知る。 敵対する位置にいるくせに、 同性の相手のくせに、その腕の中が安堵する場所ってなんだよ。 笑えない。 でも、手放せないと思った。 思ってしまった。 蘭にプロポーズして振られたばかりなのに、 恋の意味なんて解らないのに、 怪盗の言った恋の意味は肉欲こそ当てはまらないけれど、他はすべて当てはまる。 傍にいたい。 抱きしめられたい。 この温もりに触れていたい。 蘭と同じ条件下。 それでも、蘭と怪盗とでは性別が違う。 だからこそ、それが持つ意味は計り知れない。 それに、今、苦しい。 「大丈夫だぜ」 言って、顔を上げた。 意味を探るように見つめてくる目に、笑いかける。 「お前を好きにならないヤツなんていねぇよ。 いたとしても、抱きしめてやればいい。 絶対、落ちるぜ?」 だって、この俺が落ちたのだ。 「まだ目的を遂げてないから言わないっつーなら何も言わねぇけどよ、 言いたくても怖くて言えねぇっつーんなら、大丈夫だ。 誰だって、お前を好きになる」 だから、悪かったな、と言いながら抱きこまれていた腕から逃れる。 立ち上がればくらりと眩暈がしたが、 それでも何故か呆然と見上げてくる怪盗に安心させるように笑みを向ける。 「もう、お前には会わねぇ。 邪魔して悪かったな」 安心した腕の中。 肉欲こそ伴わないけれど、突き詰めていけば怖い結果に気づきそうだからもう会わない。 怪盗と探偵なんて、相容れない存在。 それでも結構気に入っていたけれど、相手もそう思っているとは言い切れない。 犯罪者のくせに、優しいヤツなのだ。 だから、敵対すべき探偵を邪険にできないでいる。 でもそれって、危険だろ? お前の目的を遂げるための邪魔をするかもしれねぇ。 そんなのは、嫌だからな。 だから、もう会わねぇ。 「幸せになれよ」 どんな捨て台詞だと思いながらも、心からその言葉を送った。 呆然とした顔で見上げてくる怪盗に、ひとつ笑って背を向ける。 自分は馬鹿だから、たぶん白黒決着を付けない限りこの想いを抱き続けるだろう。 そして想いを伝えることはないのだから、決着は一生付かないまま。 それが、幸せではない、に直結するとは思わないが、 それでも想い想われる関係に比べれば、少し劣るかもしれない。 だから、怪盗だけでも好きな相手と幸せになって欲しいと思った。 自己満足でしかないけれど、そういうふうに相手を想うのもいいかもしれない。 そこまで考えて、 もう会わないと言った理由のひとつが、 怪盗への想いを怖いから考えたくないだったくせに、すっかりその感情を認めていることに気づいた。 怪盗の言う恋には少しだけ当てはまらないけれど、 それでも蘭を想っていた想いとは違い、 蘭の言った、恋をすれば解る、と言う意味は解った気がした。 もう会わないと自分で決めたくせに、早くも会えない未来が辛い。 そういうのも含めて、怪盗が言う苦しいというものかもしれないと思った。
08.03.30〜04.08 ← Back