過去がなかったら、アンタを選ばなかった。
過去があったから、アンタを選んだ。






NO , NO LIFE

「サスケ」 呼び止められ振り向くと、昔と変わらないナルトの真っ直ぐな目とあった。 「何だ?」 「ちょっと、付き合え…」 数年ぶりに会ったというのに挨拶もなしで、いきなり俺の腕を掴んで歩き出す。 前を歩くナルトの背は、俺より僅かに高かった。 それに、時間の流れを感じた。 連れて来られたのは、落ち着いた感じの居酒屋。 なんとなく、ナルトのことだから一楽に行くのだろうと思っていたのに、 知らないうちに背が伸びただけでなく、コイツも変わっていたんだ、そう思うと少し哀しかった。 カウンター席の端で、ふたり並んで座る。 「飲め」 ドンっと、勢いよく一升瓶が置かれる。 銘柄からして、安酒だった。 上忍になったくせに、こいつはいつまで安酒を飲むのだろうか…。 そう思いながらも、アイツも似たようなものなのを思い出す。 飲めるくちだったけど、たいして好きじゃなかったのかもしれない。 「飲めってばよ」 いつまでたっても飲もうとしない俺に、ナルトが無理矢理コップを押し付け酒を注ぐ。 とぷとぷ、と音を立てながら、同時にそれは独特の匂いを放つ。 その匂いが嫌いだ。 けれど、ナルトはそんなこと知らないから、きっと飲むまで煩く言うのだろう。 面倒臭いので、一口口に含む。 それを確認してから、ナルトも飲み始める。 ナルトはこちらを見ないで、目の前の壁に貼ってある黄ばんだカレンダーを睨むように見ていた。 そして、俺はそんなナルトを見ていた。 「サスケ」 こちらを見たナルトの目は、先ほどと同じで昔と変わらない。 真っ直ぐな目。 その目は、変わらないんだな。 「何だよ?」 「カカシ先生と住んでるって本当か?」 何を今更訊くのだろう。 俺が中忍試験に合格してからだから、カカシと一緒に住み始めて、もう5年は経っている。 その間、里にごちゃごちゃ言われて揉め、里中の噂になっていたことをこいつは知らないのだろうか。 「何を今更…」 「…だな」 そう言ってナルトは苦笑した。 「それが、訊きたいんじゃないよな?  何が訊きたい?」 本当にそのことが訊きたかったのなら、噂が広まった時に訊けばよかったのだ。 それに、ナルトはなんだかんだで火影に気に入られてたし、そっちに訊けば答えは得られたはずだ。 「サスケさぁ…」 名前だけ呼んで、視線をコップに彷徨わせる。 らしくない行動。 いつも知りたいことは、納得するまで訊こうとするのに。 「だから、何だよ」 「うん…」 ナルトは手に持っていた酒を一気に飲み干した。 それから、俺をしっかり見据えた。 あの真っ直ぐな目で。 「カカシ先生のこと、どう思ってる?」 「…いきなりだな」 「ずっと、思ってた。  7班にいた頃から…」 そんなに昔から、何を思っていたというのだろう。 促すように、ナルトを見つめる。 「いつだったかさ、俺見たんだってばよ。  カカシ先生がお前にキスしてるの。  俺、そん時ガキだったし、咄嗟に逃げようとしたんだけど、 見ちゃったんだ、お前たちの顔…」 そこで話を区切って、ナルトは空になったコップに酒を注ぐ。 その様を見ていたら、ここが居酒屋でよかった、と思った。 酒というのは、話を進める潤滑剤なんだろうな。 だから、アイツも俺との食事中に飲んでいるのだろうか。 そう思うと、少し胸が痛んだ。 「で、俺たちの顔になんかついていたのか?」 タイミングを計ってナルトに訊く。 ナルトは答えるかわりに首を振った。 そして、ちびちびと酒を煽る。 「だったら、別に今になっても気にもならねぇってばよ。  俺が見たのは、お前の俯いた暗い顔と、泣き出しそうに笑うカカシ先生の顔だよ」 ゆっくりとこちらを見る顔には、またあの真っ直ぐな目があった。 「なぁ、お前解る?  あの時、俺咄嗟に気配隠してたけど、相手はあのカカシ先生だぜ?  そのカカシ先生が、一切俺には気づいてなかった。  ただ、泣き出しそうに笑って、お前を見てた…」 …知ってたよ。 昔からカカシが俺をどう思ってたかなんて。 「だから、何?」 真っ直ぐな目を見つめ返すことは辛かったけれど、 そんなことを表に出さず訊きかえすと、ナルトも目を逸らさず答えた。 「カカシ先生がお前のこと凄く好きだってことは、あの時から解ってる。  でも、サスケは?  サスケは、カカシ先生のことどう思ってんだよ?」 溜息が出た。 そんなこと解っていれば、どれだけ楽だったか。 それをお前に言っても仕方ないんだよな。 だから、酒を煽った。 嫌いなくせに、飲めないわけではないことが有り難かった。 「サスケ」 強い呼びかけとその目には、一歩も引かないということが雄弁に物語られていた。 だから、正直に答えた。 「解らない」 「何だよそれ!」 僅かに怒りが滲んだ声。 でも、本当に解らないんだよ。 「解らない、それが答えなんだ。  一緒に暮らしたこの5年間ずっと考えてきた結果、出た答えは、解らない、だ」 言ってて虚しくなる。 でも何度考えたところで、答えはそれにしか行き着かない。 いや、ちゃんと考えたことなんてなかったのかもしれない。 結局、俺は最後の最後で考えるのを放棄していただけかもしれない。 自分の気持ちすら、解らない。 「…んだよ、それ」 非難を含んだ声。 だけど、答える術はない。 本当に解らないのだから。 「サスケ!」 「だから、本当に解らないんだ。  カカシのことが好きなのか、解らない。  ただ、俺の存在を否定しなかったのは、カカシだけ。  俺を包み込んでくれたのも、カカシだけ。  単に居心地がよかったから一緒にいる、っていうだけなのかもしれない。  そこに、どんな感情があるか未だに解らない。  若しくは、最初から何も無かったのかもしれない…」 ナルトの目が揺らいだ。 たぶん、ナルトも同じような気持ちを知っているから。 イルカ先生に対する気持ちが、俺のそれと似ているはず。 ただ、ナルトとイルカ先生の間に発生した情は、家族愛。 それ以上でも、それ以下でもなかった。 でも俺とカカシに発生した情は、それとは異なるもの。 ナルトは言葉を探すように口を動かしたが、 結局言葉は見つからなかったのか目を伏せまた酒に口をつけた。 だから、俺もナルトから視線を外し、酒に口をつけた。 「…居心地はよかったのかよ」 ぼそり、と呟くように言ったナルトは、一切俺を見ていない。 「よかったよ。  俺のこと初めて必要としてくれた人だし、好きだと言ってくれた人だからな」 ナルトが睨むように、俺を見る。 その視線を受け止める。 「サクラちゃんだって、あの時お前のことが好きだった」 ナルトは、今でもサクラのことが好きなのだろうか。 「一方的な、押し付ける気持ちとは違う」 ナルトが、更に睨んでくる。 その視線を無言で受け止める。 「カカシのは…、  カカシのは、守られてるって思った」 ナルトがまた目を逸らす。 「失った愛情だと思った。  まだもらっていたはずの親からの愛情に、似てたんだ」 ナルトはコップを見ていた。 震えるほど力を入れて、コップを握りながら。 「そんなのカカシ先生が可哀想だ…」 「…だよな。  だから、何度も別れようと思ったし、実際何度もそうした。  でも、結局ダメなんだ。  元に戻ってしまう。  カカシに依存してるんだ。  カカシの優しさに依存している。  アイツがいなかったら、足りないんだ。  アイツの気持ちにつけこんで、利用してる…」 ナルトは複雑そうな顔で俺を見る。 「それって、それってさぁ。  お前、先生のこと好きなんじゃねぇの?」 何処か恐る恐るナルトが問う。 「それも、考えた。  でも、違う。そうじゃ、ないんだ。  だって、俺はあの過去がなくカカシと出会ったとしたら、絶対にカカシを選ばない。  断言してもいい、絶対に、だ」 言って俺は、ただ自嘲気味に笑った。 ナルトはただ、顔を歪ませた。 「そんなの、ないってばよ…」 それから、ナルトは一切口を噤んだ。 だな。 俺も、そう思うよ。 手の中のコップには、もう酒が僅かしかなかった。 それを一気に飲み干す。 ポケットの中からサイフを取り出し、数枚札を取り出しカウンターに置いた。 ナルトは止めなかった。 「じゃあな」 「サスケ」 振り返ると、こちらを向きもせず、ナルトは手の中の酒を見ていた。 「何だよ」 「仮定法、ってお前らしくないってばよ。  〜たら、〜れば、言ったところで、今現在起こっている状況とは違う。  考えるだけ、無駄だってばよ。  過去があって、そしてカカシ先生と会って、今選んだお前の道があるんだろ?  仮定法で考えた気持ちなんて、そんなの考えるだけ無駄だってばよ。  過去があって、カカシ先生と会ったお前が今思う気持ちが、すべてでいいじゃんか。  利用してるってお前は言ったけど、居心地がいいって言ったのも本当だろ?  それでいいんだってばよ…」 ナルトは一度もこっちを見なかった。 けど、それがナルトの優しさだと思った。 「有難う…」 「…俺、来月サクラちゃんと結婚するんだ」 「そうか…。  おめでとう」 ナルトはまだサクラが好きだったんだ。 それを思うと、何故か嬉しいと思った。 「でも、俺ってばよく解らなくなった。  本当にサクラちゃんが好きなのかどうか。  サクラちゃんを好き、っていう気持ちは、本当は意地なんじゃないか、って時々思う。  昔、サクラちゃんはお前が好きで、俺は何やってもお前に勝てなくて、  サクラちゃんだけはお前に渡さない、って意地になってるだけなんじゃないか、って思うことがある。  そのこと考えてたら、何でかいつも絶対にあの時のお前とカカシ先生の顔を思い出した。  だから、それに答えがあるように思えたんだってばよ…。  ごめん…」 「いいよ、別に。  お前の答えが出たかは解らないけど、少なくとも俺の答えは出た気がしたよ。  今日、ちゃんとカカシと話してみる。  ナルト、有難う」 「…俺も、有難う」 店を出たらすっかり日は落ち、あたりは暗くなっていた。 夜風が冷たくて、軽く身震いする。 すると、ふわりと首に回された温もり。 振り返ると、カカシが立っていた。 …アンタはいつも知らず俺の傍にいるんだな。 「もう夜は寒いんだから、ちゃんと暖かくしとかないとダメだよ」 そう言って、マフラーを俺にクルクル巻きつける。 少し寂しげに笑って。 あぁ、アンタはいつもそんな顔をしてたんだよな。 笑っているのに、ちゃんと笑ってないんだ。 心がすべて、笑ってない。 俺のせい、だな…。 カカシ、ごめん。 アンタに甘えてばかりで、ごめん。 いつまでも庇護される子どものふりしてて、ごめん。 アンタをちゃんと見てなくて、ごめん。 「サスケ?」 カカシの声が心配そうに問う。 アンタはいつまでも俺に優しい。 その優しさに依存してて、ごめん。 与えられるだけで、何も返そうとしなくて、ごめん。 ――ごめんなさい。 視界が滲む。 ぽろぽろ、ぽろぽろ、涙が零れ落ちる。 18歳にもなって、なんで子どもみたいに泣いてるんだろう。 そう思いながらも、自分がいつまでたっても成長しきれていない子どもだということも知っていた。 あなたの優しさに依存してました。 あなたのその存在に依存してました。 俺は、ただの子どもでした。 「カカシ、ごめん」 ごめんなさい。 その言葉しか、言えない。 例え、それが今までの俺達を否定する答えでしかなかったとしても、 例え、アンタを侮辱する答えでしかなかったとしても、俺はアンタにこの言葉を言わなければならない。 ごめんなさい。 そうしなければ、何も始まらない。 とどまることなく零れ落ちる涙を拭いもせずに、カカシを見つめる。 「カカシ、ごめん。  俺、あの過去がなかったら、絶対にアンタを選ばなかった」 カカシは驚くわけでもなく、ただ何も言わず笑ってその言葉を受け止める。 「でも、現実にあの過去はあった。  俺はその上でアンタとあった。  そして、アンタの想いにつけこんだ。  アンタの傍が、居心地良かったんだ…。  そこに、どんな感情があるというのか、未だに解らない。  ただ、アンタの傍は本当に居心地が、いいんだ…」 カカシは、変わらず笑みをたたえ、俺の言葉を受け止める。 真っ直ぐ、俺の目を見て、受け止める。 目を、逸らしたかった。 自分が酷く最低な人間だと、目の当たりにしてるようだった。 でも、それは事実。 だから、目を逸らせない。 「最低なことを言ってる、と解ってる。  でも、アンタの傍がいい。  こんな俺でもアンタが許してくれるなら、傍にいたい…」 目を逸らさない、と決めたのに、 どれだけ自分が都合のいいことを言っているのかと思うと、限界だった。 目が、見れない。 視線が落ちる。 逃げ出したい。 逃げてばかりで、今になって現実を見ようとした瞬間、 現実は知らないうちにどんどん巨大な化け物と化していて、恐怖し、また逃げ出したいと思った。 自分は、どれだけ子どもだというのだろう。 歳だけくって、心は成長していない。 現実を見ていなかった分、逆に退化した気がする。 カカシの足先が一歩近づく。 思わず退こうとする手を掴まれた。 反射的に、カカシの顔を見ようと仰ぎ見たけれど、抱きしめられそれは叶わなかった。 「それだけで、充分だよ。  サスケだけが利用したんじゃないよ。  俺だって、利用した。  サスケが欲してる親の愛情を、利用した。  それにつけこんだ。  そうまでして、傍にいたかった…。  ごめん」 ごめん、とカカシはもう一度呟いた。 その言葉に、涙した。 その言葉が真実なのか、俺の気を少しでも軽くするために言った言葉なのかは解らない。 どちらにしろ、その言葉は俺にとって優しさに思えた。 結局のところは、カカシに依存するままなのかもしれない。 どこかでそう思いながらも、それでも選ぶ相手は唯一人、カカシでしか有り得ない。 傍にいたい、そう思うのはカカシだけ。 この感情を何というのか知らない。 恋だの、愛だの、そんな甘いものなんかではなく、もっとどろどろとした依存だけなのかもしれない。 それでも、俺はアンタの傍にいたい。 それでも、アンタは俺に傍にいて欲しいという。 出したと思った結果は、もっとお互いを縛り付けてしまうものだったのかもしれない。 それでも、俺はアンタを選び、アンタは俺を選んだ。 それから、一ヵ月後、ナルトとサクラが結婚した。 ふたりは本当に幸せそうだった。 あの日見た、ナルトの心配そうな顔はなかった。 サクラも俺を見ても、ただ微笑むだけだった。 カカシも笑っていた。 ナルトとサクラが傍にいる理由と、自分たちが傍にいる理由の違いがなんなのか、 あの時解ったようでいたけれど、結局、今となるとその答えは霞みがかったようによく解らない。 けれど隣で笑うカカシがあの時のように寂しげに笑うのではなく、 心から笑ってるのを見ると俺も心から笑えた。 答えなんて結局解らない。 未だに、依存しているだけなのかもしれない。 でも、傍にいたい。 その気持ちだけは明確。 それが、答えでいいのかもしれない。 ナルトの言ったように、〜たら、〜れば、仮定法を言ったところで、それは仮定でしか有り得ない。 それなら、考えるだけ無駄だ。 俺が望み、アンタが望み、傍にいる。 それだけでいい。 それだけで、いい。
2003.09.30〜10.08 2003.10.14, 10.25 加筆修正。
Back     Postscript