泣けないと知っているくせに、
泣く資格はないと解っているくせに、今日だけは泣きたかった。







The child who can't cry.







ぎゅっと膝を抱える腕に力を込めた。
今日だけ…今日だけは、許してもいいだろうか。
泣いてもいいだろうか。

そんなことを考えながらも、涙は出ないと知っている。
もう泣かないと決めたあの日以来、涙は流れ落ちることはない。
潤む程度で、流れ落ちてはくれない。

泣きたいのに、自分が誓った戒めのせいで泣けない。
感情が行き場をなくし、身体中で暴れている。
どうやったら、これを押さえ込むことができるのか。

考えたところで答えなど出ず、明確な痛みへと逃げる。



ぎりぎりと両手を握り合わせる。
機械鎧の右手が、生身の左手を傷つける。
ぬめる感触が伝わる。
少しだけまぎれる感情。

もっと――
もっと、痛みを感じれば、この感情を感じなくなるだろうか。

愚かだと知りながらも、それを一笑に付すことなどできず、
思うままに両手を強く握り合わせる。





「大将?」

ふいに声をかけられ、顔を上げれば少し離れた処に少尉がいた。

「…少尉?」

「あ、やっぱ大将か。
 どうしたんだよ、こんな時間に」

駆け寄りながら問い掛けてくる。
何でもない、と言おうと口を開けたところで、少尉が大きな声で叫ぶ。

「大将、血まみれじゃないか」

少尉が何を言っているのか解らなくて見上げれば、眉を顰めたまま手を取られる。
そして、納得した。
手は、血まみれだった。


痛みを欲しての行動であったし、ぬめりを感じているくらいだったから、
血が出ていることは解ってはいたけれど、これほどだったとは…。

ズボンは血に染まり、足元には点々と赤い斑点が。


もう、何をしていいのか解らなくて、笑った。
人は自分で抱え込める範囲を超えてしまった時、笑うのだ、と、
人事のように思いながらも、妙に納得し感心した。





「大将、何かあったのか?」

血まみれの手を拭ってくれながら、少尉が問う。

「…何もねぇよ」

「……」

少尉は突っ込んで訊くことなく、丁寧に手を拭う。
止める気力もおこらず、されるがままに手は差し出したまま。
少尉の手が、ふいに止まった。

視線を上げれば、何か躊躇するような顔がある。

「少尉?」

問えば、彼は一度ゆっくりと決意をするように瞬きをした。

「大将、気づいてるのか」

「何が?」

「今、大佐みたいな顔で笑ってるよ」




心臓を鷲掴みにされたような衝撃が走る。

「少尉…何…言って…」

声が、震えた。
少尉はため息を吐いて、じっと目を覗き込んでくる。
その目は温かく優しさに満ちていて、とても綺麗で、一瞬怯む。

手を伸ばされ、髪をくしゃくしゃにされる。
それからゆっくりとした動作で、横に座った。
困惑の最中にも、あの綺麗な目が見れない、と少し落胆した。



少尉は答えてくれることなく煙草に火をつけ、それを吸う。
沈黙が、痛い。

まだ心は不安定でどうしようもなくて、また痛みに逃げようとする。
ぎゅっと握り合わせた両手。
徐々に力を入れていく。
感覚が鈍くなっているのか、なかなか痛みを伝えてはくれない。
もっと――
もっと、力を与えなければ。


「大将、もう止めとけ」

鈍い痛みを伝えていた手に、少尉の手が触れた。
それはもう本当に温かくて、胸が締め付けられて、縋るようにその手を握り締めた。
泣けぬ自分の感情の唯一の発露に思えて、ぎゅっとぎゅっと縋りつくように握り締めた。
少尉も、その手を強く握ってくれた。



涙はひと雫も流れ落ちてはくれなかったけれど、それでも、泣いた気がした。
大声で、泣いた気がした。







04.06.03 『The child who can't cry.』=泣けない子ども。
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