抱き込んだ子どもは女性よりも小さく儚げで、彼が子どもだということを否応なく認識させた。
そんな子どもに、自分は何を望むと言うのか。
けれどそんなことすら、もう今更なのだ。







A sly man.







子どもは状況が解っていないのか、固まったまま動かない。
それをいいことに抱きしめる力を加える。
小さな肩にかがんで顔を埋める。
首筋から甘い匂いがした。



このまま閉じ込めて、自分だけのものにしてしまおうか。



薄暗い部屋は、思考までも薄暗いものにさせた。
昼間会った時は、子どもとの距離を理解していたはずなのに今はそれを忘れている。


触れてしまった。


ただ、その言葉だけが頭を占める。
後悔を、しているのだろうか。
今はそれさえも、よく解らない。
思考を捨て、子どもに縋りつくように抱きしめる。




「…大…佐…」

震え、掠れる声で子どもが名を呼ぶ。
けれど、答える余裕もなく、抱きしめ離さない。

「…大佐」

小さく子どもは身じろぐ。
そっと、抱きしめる腕に手を添えられる。
その手で抱き返して欲しい、と思うのに、子どもはその手でゆっくりと押し返してきた。
哀しみと諦めの混じったため息を吐きながら、それに従う。

視線が、絡む。

金の目は潤んでいた。
けれど、それが涙となり流れ落ちることはないと知っている。
もし、それが涙となり流れ落ちたのならば、自分は子どもを捕らえて離さないというのに。
抱きとめ甘やかし、自分以外の誰も見せることなく囲うというのに、
子どもは決して涙を流してくれることはない。





「…大佐」

呟く子どもの顔は、驚愕と困惑が浮かんでいた。

「…大佐、アンタ…」

子どもは、続く言葉を言いよどんだ。
その言葉を引き継いで、好きだ、と言えたなら、何か変わるのだろうか。
そんなことを思いながらも、言葉を引き継ぐことなどできなくて、ただ笑った。
何を今更誤魔化すのか、と思いながらも、言葉にすることはできなくて、誤魔化すように笑った。

子どもは、一瞬苦痛に満ちた顔をして俯いた。
視界に、ぎゅっと握り締められた両手が映る。
その小さな手に、手を伸ばし触れると、子どもはびくりと身体を震わせたあと払いのけた。

「…触んな」


その言葉で、正気に戻る。
苦笑が、漏れた。
笑うしかなかった。
まったく、その通りだから。
自分は、子どもに触れる資格はない。
言葉を渡さず、真意を曝け出さず、笑って誤魔化す自分に、触れる資格はない。

「すまない。どうかしていたよ」

立ち上がりざまに声をかけた。
子どもは俯いたまま。

「情報は…明日でいいかね」

問うたところで子どもは返事をくれるわけでもなく、変わらず俯いたまま。



卑怯だ、と思った。
自分が、限りなく卑怯だと。

子どもの気持ちも自分の気持ちを知っていて、
変化をどこかで求めていたくせに、それを押し込めたどっちつかずの状態だった。
リスクを、犯せなかった。
けれど、子どもは自身の気持ちに気づいておらず、当然の如く自分の気持ちも気づいていない。
そんな中での、どっちつかずの状態。


その不安定な均衡を破ったのは、自分の行動。


同じ身動きの取れぬ状態であっても、理由が違った。
少しだけ子どもの状況を、自分のそれと同じ位置に引き上げてしまった。
それなのに、自分は子どもに何も告げていない。
笑って誤魔化して、子どもの反応を待っている。
それが、これからの行動を子どもに委ねることでしかないと知っていても。

なんて、愚かで情けないことか。
大人の狡さで、逃げ回っている。
逃げられない、捕らわれている、と解っているくせに、それでも足掻いてしまうのは何なのか。
捕まってしまえば、楽なのに。
何故、それができないのか。

もう本当に、笑うしかない。





「…大佐」

掠れた声に呼ばれ視線を向ければ、表情の読めぬ顔があった。
戸惑いながらもそれを表情には出さず、笑って訊いた。

「何だね」

子どもは眼を逸らさず、言葉を告げる。

「明日、また来る」

そう言って、子どもは背を向け扉を開ける。
入り込む光に照らし出される、金の髪。
淡い光を放ちながら、光あるほうへ進む子ども。
そのまま、二度とここには来ることなく、何処か遠くに行ってしまいそうだった。

「鋼の」

呼ぶ声は、情けないまでに焦りが滲んでいた。
子どもは立ち止まり振り返りかけたが、こちらを見ることなく出て行った。
一瞬見えた子どもの眼が涙に滲んでいるように思えたのは、単なる自分の希望だったのだろうか。


先ほどとは違い、小さく音を立てて扉が閉まった。



光は、もう入ってはこない。
暗い部屋に残されたのは、惨めな狡い大人がひとり――
04.05.24〜06.02 『A sly man.』=狡い大人。
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