重厚な机。
それが、子どもと自分との距離。







Distance with him.







「旅の成果は?」

「相変らず」

答える顔は暗い。

「そうか」

「…報告書」

手渡してくるそれを受け取りながら笑みを向けると、子どもは一瞬苦痛の滲む表情を浮かべ逸らす。
それに苦笑が漏れた。

いつもこうだ。
誰か他に人がいれば子どもは生意気な態度も取るというのに、ふたりだけだと急に静かになる。
視線を逸らし、彼らしくない定まらぬ視線を自分との間に距離を作る机に視線を落とす。

あからさまに違う態度だというのに、それについて訊いたことは一度もなかった。
最初は疑問に思ったけれど、いつの日か気づいてしまった。
子どものその理由に。
子ども自身すら気づいていないだろう、その理由に。


そして、同時に気づいた自分の感情。
何を血迷っている?、と気づいた瞬間に冷静な自分の声を聞いた気がした。
けれど、もう気づいてしまったのだから今更遅い。
後戻りなどするつもりもないが、試みたところでできないだろう。
これは戯れなどではなく、本当の想いだから。

だから、自分は笑うのだ。
自分を、嘲うのだ。



折角、正面から日の光を浴びているというのに、子どもの表情は俯いていて見えない。
ただ、金の髪が放つ色彩を強めるだけ。
子どもは、自分が嘲っていることに気づいているのだろうか。
いや、俯いた彼には見えないだろう。
もし、子どもが気づいたのならば、笑うだろうか。




ぱらぱらと紙を捲る音だけが響く。
すでに読んでしまったくせに、まだ読んでいるふりをする。
少しでも、子どもとの時間を逃さぬように。

そう思うのに、子どもの視線はずっとふたりを隔てる重厚な机を見ている。
その顔を上げてはくれないだろうか。
あの、忘れられぬ眼を見せてはくれないだろうか。

思えば、あの瞬間から心捕らわれていたのだろう。
思い出すのは、あの焔の点いた眼。






ふいに、子どもが笑った。

「鋼の?」

訝しんで声をかければ、子どもは漸くその顔を上げた。
目に映るのは、あの望んだ眼ではなく、自嘲が滲む眼。
そんな眼が見たいのではないのに。

「どうかしたのか?」

「いいや、何もないよ」

「そうか」

視線を紙に戻した。
自嘲の滲む眼など、もう見ていたくなかった。
子どももまた、机に視線を落とす。
彼と自分を隔てる距離。
それは机との距離などという物理的なものではなく、笑うしかないことに心の距離。


あんな眼をさせたいワケではない。
子どもの気持ちを知っている。
自分の感情も知っている。
望めば、手に入るかもしれない。

そう思うのに、うまくいかない。





手を、伸ばせない。
得る利益など、何もない。
たったひとつ、自分の心の満足というものを除けば。
けれど、それすらも不確かなもの。

子どもが第一に望むものは自分ではなく、自分が第一に望むものも子どもではないから。
互いの存在が邪魔になるかもしれない。
それなのに、それを得るためには捨てなければいけないものが山ほどある。
そんなリスクを負ってまで、たったひとつの感情にすべてを賭けることはもうできない。

けれど、
それでも、あの眼が見たいと思う。
あの眼で自分だけを見てほしいと思う。

矛盾しているのは、嫌と言うほど解っている。



手を伸ばし、小さな身体すべてを絡めとりたいというのに、それすらもできない。
こんな自分を彼は笑うだろうか。
呆れるだろうか。
いっそ、嫌いになってはくれないだろうか。
もう自分からは手放すことはできないから、子どもから離れてはくれないだろうか。


愚かしいことに、そんなことまで願う始末。
距離の取り方が、解らない。
手に入れたい。
そう思うのに、手を伸ばせない。
伸ばしたところで、子どもには届かぬ今のこの距離こそが、互いの距離。
もう少しで届きそうなのに、触れられる距離に自分はいない。


触れたいのに、触れられない。
何を望んでいるというのか。
問うたところで、答えなど今まで出た試しもない。
そんな今の互いの関係が、この距離だというのは覆しようのない事実。



――それが、子どもと自分とのまぎれもない距離。







04.05.20 『Distance with him.』=彼との距離
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