少尉は何度も、彼と同じ笑い方をする、と言った。
けれど、自分は絶対にあんな顔でなんか笑っていない。
笑える筈などないのだから…。







His only smile.







「…だから、違うんだよ」

「だから、何が」

少尉は、ため息のように長く煙を吐き出す。

「だから、たったひとりってのが、女じゃないってこと。
 大将が見た笑顔ってのは、女になら誰にでも向けてるやつ。
 あれも愛想笑いのひとつ」

「…最低」

解っていたけれど、それでも思い浮かび口に出たのはその言葉だった。

「…俺もそう思う」

少尉も、小さく同意した。
それから何かを言いよどむように、手の中で未だに火のついていない煙草を弄ぶ。


あたりを包む雰囲気が変わってしまい、不安がじわりじわりと押し寄せる。
今の自分はそれを振り払えることなどできなくて、
安易な痛みへと走るしかできなくて、ゆっくり、ゆっくりと、両手を握り合わせていく。
それを見咎めた少尉がため息を吐きながら、止めるように手を添えた。




「だから、止めろって」

「…ごめん」

少尉は、また溜息を吐いた。

「大将は、それでもその最低な大佐が好きなんだろ」

いきなり核心をつく言葉に振り仰げば、苦笑する少尉がいた。

「…少尉…何言ってんの?」

声が、震える。
けれど、そんなこと気にせず、少尉は続ける。

「見てたからな」

「…何を?」

まさか、先ほどのことが見られた?
でも、彼は司令部にいなかった筈。
けれど、それは確証できることではなくて、心臓が早鐘を打ちだす。




「少尉、何を…何を見たんだ?」

交差する視線に、息が詰まりそうになる。
少尉は真剣な目で、見つめてくる。

「『見た』んじゃないよ、『見てた』んだ」

「…少尉?」

何を言っているのか解らなくて、聞き返す。

「だから、俺はずっとお前を見てたんだよ」

「…何?」

「…気がついたら、目で追っていたんだよ。
 女が好きな筈なのに、気の迷いか、って思ってたんだけど、
 目が離せないし、誤魔化しようがないし。
 …好きなんだ」

「え…」

少尉が、自分を好き?
…何?

少尉の言葉が、意味をなしてくれない。

「…少尉?」

呼べば、ふっと少尉は笑った。
それから、触れていた手で俺の頭ぽんぽんと軽く叩き、また前を見つめ、煙草に火をつけた。




「好きだと気づいた時には、失恋決定だったけどな」

少尉は、苦笑しながら言葉を続ける。

「大将のこと見てたら、大佐のこと好きなんだって気づいたからな」

自分の気持ちに気づいたのなんて、先ほどだというのに。

「…態度に…出てた?」

「…普通なら気づかない程度だよ」

「そっか…」

「あぁ、だから安心しろよ」

視線はそのままで、また頭を軽く叩いてきた。

「気づいた時、諦めさせようと思った。
 あの人は、どう考えても大将のこと見向きもしないと思ったからな」

見向く、見向かないの問題ですらない、というのが現実なのだけれど…。



「でもな、大将のこともあって、大佐のことも見るようになった。
 そしたら、何となく大佐のことも解った気がしたよ。
 …たったひとりの相手、って大将のことだよ」

「…え?」

少尉を見やれば、少尉も自分を見ていた。

「大将の前でだけ、仮面剥がれ落ちるんだよ。
 見かけたのは偶然ばっかだけどな。
 ふたりきりの時、大将ほとんど俯いてるみたいだったから気づかないんだろうけど。
 素の表情が出てると思う」

「…何それ」

「一見苦笑にしか見えないけど、
 相手に何も伝えず、諦めて自分の中で自己完結してる、そんな笑い方をしてるよ」

言われて、彼の苦笑を思い浮かべた。
けれど、それは少尉の言うような笑顔には思えない。

「…そんなことないよ」

呟いて俯けば、少尉はまた軽く頭を叩いた。

「そんなことあるんだよ。
 大佐は、笑って完璧に誤魔化すことができるのに、大将の前ではそれが完璧にできない。
 それに、口で丸め込むことも得意なのに、それさえできない。
 力なく笑って、誤魔化そうとするだけ。
 しかも、誤魔化す相手は、大将じゃなく、自分自身。
 …そんな顔させるのなんて、大将くらいだよ」

「…少尉の気のせいだよ」



そんなこと、ある筈がない。
そんなこと、あってはならない。
――お互いのために。





「ちゃんと、向き合えよ。
 大将だって、少しは気づいてるんじゃないのか」

…知らない。
気づいていない。
気づいたのは、自分の愚かさだけ。

「…知らない」

少尉は、長い溜息を吐いた。

「大将が幸せになるの確認するまで、俺、次に行けないんだよ。
 別に大佐相手じゃなくてもいいけど、
 …というか、あの人相手じゃないほうがいいんだけど。
 ま、大将は大佐を選んでるんだから仕方ないか。
 …兎に角、俺のために幸せに早くなれよ」

それはあまりに優しすぎる言葉で、笑って誤魔化すしかできなかった。

「…少尉が、彼女できない理由解った気がする」

「…俺も知ってる」

ふたり顔を見合わせて、笑った。



手を、強く握り合わせた。
痛みを紛らわせるためではなく、決意を固めるために。





「少尉、俺、行ってくる。
 ちゃんと、気持ち伝えてくる」

少尉は、笑って手を振ってくれた。
ありがとう、の言葉は言わなかった。
謝罪の言葉も、言わなかった。
ただ、想いすべてを込めて、一礼をした。





そして、そのまま駆け出した。

あの時、彼は帰りがけだったけれど、
何故かまだあの部屋にいるという確信があったから、闇の中、彼のもとへ駆け出した。







04.06.03〜06.11 『His only smile.』=彼の唯一の笑顔。
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