Impossible talk.
「有り得ない話をしよう」
そう、彼が笑って言った。
彼も自分も目的があるから、目の前にある現実を見ることしかできないのに、
未来について有り得ない話をしよう、と言った。
本当は嬉しくて、でも切なくて泣きそうになったんだけど、彼が穏やかに笑うから自分も笑った。
けれど口をついて出た言葉は、望んではいけないのに望んでしまう本音だった。
「俺、人里離れた小さな家で、犬を飼って静かに暮らしたい」
言った途端に、しまった、と思ったけれどもう遅く、恐る恐る彼の顔を伺う。
彼は、力なく微笑んだ。
その微笑みに、本音だと気づかれたと知った。
けれど、彼はそのことには触れず、当り障りのないことを聞いてくる。
「…どんな犬を飼うのかね」
「大きい犬を飼うんだ。黒い、大きい犬」
彼が、僅かに目を見開く。
自分は、口を抑える。
どうして、言ってはならぬ言葉ばかりでるのか。
「…鋼の?」
心配そうに聞いてくる彼。
今なら、まだ間に合うかもしれない。
笑って、それより先にアルの身体と自分の手足だよな、
と誤魔化せば、話を変えられるかもしれない。
そう思うのにそれができなくて、ただ彼の顔を見つめる。
伸ばされた手が、頬をゆっくりと撫ぜた。
その頬を涙が伝うのを感じた。
「…鋼の」
抱きしめようとしてくる彼の手を制し、真っ直ぐに彼を見詰める。
彼の重荷になるようなことばかり言ってる、と解っている。
けれど、涙も言葉も止めることはできなかった。
「アンタの変わりに、アンタに似た大きな黒い犬を飼うんだ。
そしたら、寂しくないだろ。
だから、アンタがいなくても平気だよ」
どうして、こんなことを言っているのだろう。
有り得ない幸せな話をする筈だったのに。
どうして、現実となり得そうな辛い話をしているのだろう。
ぽたりぽたりと、涙が頬を伝い落ちていく。
彼は、何も言わない。
何を言っても、その場凌ぎの慰めでしかないと知っているから。
だから、彼は言葉の変わりに触れてきた。
温かい腕で抱きしめ囲い、
大きな手で涙を拭い、柔らかな口付けで涙をすすった。
涙は止め処なく流れた。
彼は何も言わず、それを舐めとった。
どうして…どうして、こんな関係なのか。
幸せに満ちた未来が待っているなんて、嘘でも言える立場にいるとは思っていない。
けれど、『有り得ない話』と仮定した話くらいしてもいいだろ。
有り得ないのだから、夢くらい見せてほしい。
…そう思うことすら、無理な関係なのだろうか。
自分たちは、そんな仮定の話すらできない関係なのだろうか。
考えれば考えるほど辛くて、泣いた。
彼は何も言わず、ずっと強く抱きしめた。
なくした手も足もいらない。
小さな家もいらない。
犬もいらない。
彼自身も、望まない。
その代わりに今、ただ彼と笑って幸せな『有り得ない話』がしたい。
彼と、彼が傍にいる未来の話がしたい――…
04.06.11
『Impossible talk.』=有り得ない話。
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