少年がたったひとりで、屋敷の家族とその使用人を含めた二十数名を殺した。



この乱れた時代の中、何を今更そんなことで自分が呼び出されるのかと思えば、
殺された人間はこの国の権力者のひとりであり、自分の上司でもある将軍だった。

権力者が殺されたのではなければ、例え100人が殺されようと、
今更事件にもならないというのにただそれだけの理由のために呼び出された。

本当に下らない時代。
綺麗なモノなど何ひとつない、穢れた世界。






The hill of karma.






憲兵に案内される屋敷の中は、悲惨なものだ。
斬り殺された死体が転がり、そこら中に血が飛び散っている。

少年がたったひとりで、これだけのことをやったという。
この乱れた時代に、子どもが殺人を犯すのは日常茶飯事だ。

だが、それでも無闇に殺すことは滅多にない。
生きるという目的の元に、彼らは犯罪を犯す。
そのため、殺した後は金品を奪って逃げるのが一般的だ。

けれど、今回の少年は逃げることなくその場にとどまっていた。
出かけていた使用人が帰ってくるまでの数十分もの間、少年は金品を物色することも奪うこともせず、
屋敷の主の寝室で、主と主が買った少女の死体を前にし、
テーブルの上にあった林檎をひとつだけ手に取り、ひと齧り口にしただけだという。
そして、使用人が見つけ通報する間も少年は動く素振りも殺す素振りもせず、
少女の死体を見下ろしたままで、
憲兵が駆けつけ軍が呼び出された今もその場から動かないままらしい。




「大佐、この扉の奥です」

一歩前を歩いていた憲兵が立ち止まり、扉の前に立つ下士官に敬礼をする。
敬礼を受けた下士官が私に挨拶をしながら、扉を開ける。

「少年はひとりのままかね?」

「はい。
 それが何を言っても聴こえてないのか、動こうとしないのです。
 腕を引っ張って動かそうとすれば、剣を振られ近づけません。
 けれど殺気がないので、銃を撃つのは躊躇われまして…」

そう話す下士官は、見るからに気弱そうな男だ。
単に、子どもを殺すことに抵抗があるだけなのだろう。

「…解った。下がりたまえ。
 君はこのままここで待っていたまえ」

そう告げれば戸惑いながらもほっとした顔をし、下士官は扉を閉め出て行った。
あんな気弱な性格で、よくも下士官になれたものだ。
溜息を吐き出しながら奥へと歩を進めれば、
聞いたとおり少年が少女の死体を前に立ち見下ろしていた。

少年は私に気づいているだろうに、微動だにしない。
金の髪に隠れながらも伺い見えた表情には、何の感情も窺い知れなかった。

少年の手には、血塗れた剣と齧りかけの林檎が握られている。
剣は未だに乾くことはなく、ぽたりぽたりと血を滴り落としていた。

その光景は場違いにも、綺麗だと思った。
どこかの宗教画のようにすら思えた。







「逃げないのかね?」

問うたところで、少年は見向きもしない。

「聴こえているのだろう?
 逃げても無駄だと思っているからか?」

恐らくそんな理由ではないと思いながらも問うたが、子どもは何も反応を見せない。
溜息を吐き出しながら、近くのソファへと身を沈めた。
ゆったりと足を組み、肘掛けに腕を置き頬杖をつく。



「君に、感謝しなければいけないな」

その言葉にも、少年は反応をしない。

「君が殺したこの家の主人――
 あぁ、そこに転がっている醜く太った男なんだがね、それは私の上司だったのだよ。
 何もできないくせに権力だけは持っているという、
 この時代の典型的な役立たずでね、殺してくれて感謝しているよ。
 私の地位がまた上がるからね」

その言葉に、少年が反応を示す。
視線を少女に向けたまま、声だけが紡がれる。

「地位が上がって、何が嬉しい?」

「さぁ?何だろうね」

本当に、何が嬉しいと言うのだろう。
昔はそれなりに理由があった筈なのに、今となってはそれが思い出せない。
いつの間にか、私も穢れた大人の仲間入りをしていたようだ。
あぁ、でも…

「飢えることはないね」

少年が、ゆっくりと振り返る。
髪の色と同じ金の目が、強い視線と共に見据えてくる。
けれど、そこに感情が何も見えない。

飢えなど経験したことなどないのだろう、と問うわけでもなく、
それに対する怒りを感じているようでもない。
ただ強い視線が、私を見据えている。

綺麗な目だと思った。
純粋で真っ直ぐで穢れのない目。
罪を犯しても、穢れることのない目。

――そして、それは私が失って久しい目。




「『大佐』なんて地位を受けているけれど、私は没落貴族の出なのだよ」

会ったばかりの、それも罪を犯した少年に何を言っているのか、とは思うものの、
それでも言葉は止まることはなく勝手に吐き出されていく。

あの目に、知らず捕らわれる。

失くしたものは、二度とこの手には戻らないと知っているというのに。
あんな目に戻るには、穢れすぎたと知っているというのに。
知っているのに解っているのにあの目に捕らわれ、言葉は勝手に吐き出されていく。

「貴族というのは愚かしいことこの上なくてね、どんなに貧しくても対面ばかりを気にする。
 誰もが没落していると知っているというのに、それでもまだ繁栄の一途を辿っているふりをする。
 さっさと見くだりをつけ夜逃げでもして慎ましやかに暮らせばまだ生きていけたというのに、
 それをするくらいなら死を選ぶ馬鹿ばかりなのだよ。
 街に生きる者たちとは違って、生きることが一番ではなく対面が一番。
 愚かしいこと限りなく、本当に贅の限りを尽くして両親は首を括ったよ」
 
そこまで続けても、少年は見据えてくる以外の反応を示さない。

どこまでも穢れていないないのだろう。
自分の信念を持ってそれのみに従う。
例えそれが世間一般で言う『悪』だとしても、少年はそれを曲げない。

揺るがない。

そんなことを思うと、小さく笑みが漏れた。
けれど、変わらず少年は反応を見せないため、言葉を続けた。


「私は一緒に首を括らなかったよ。
 その時は理由があったのかも知れないけれど、もう忘れてしまった。
 それからだよ、私の飢えが始まるのは。
 今までは、何もかも使用人がやってくれていた。
 食事を作るのも、服を用意するのも、靴の紐を結ぶことすらね。
 そんな世界を生きていたわけだから、生き残ったことを後悔するほどの辛酸を舐めた。
 けれど、死ぬことは考えなかった一秒たりともね。
 数年後には軍に入れる年齢になる、それだけがいつの間にか生きる理由になっていた。
 だから、その間にでき得る限りのことはしたよ。
 今はこんな立場にいるけれど、それこそ犯罪も犯した。
 そして、危ない橋も渡りながらも人脈を広げた。
 結果、この歳で大佐だ。
 おかげで、もう飢えることはないよ」

少年は暫く無言で私を見据えていたが、ゆっくりと口を開いた。

「…俺に何が言いたい?」



さぁ。
そんなこと、私が訊きたいくらいだよ。

ただ解っているのは、その目。

その目が、欲しい。
自分が手にするには、もう遅すぎる。

けれど、欲しい。
手に入れたい。

その思いだけが、真実すべて。






「その目が欲しい。
 穢れないその目が、欲しい」

そう告げれば、子どもは笑った。

「穢れない?
 アンタ、馬鹿か?
 大佐という立場のアンタが、何故ここに呼ばれたのか考えろ。
 目の前に転がっている死体が見えないのか?
 こいつは将軍なんだろう?
 その辺の浮浪者を殺したんじゃない、無駄に権力のあるヤツを殺したんだ。
 それでもアンタは、穢れていないなどとふざけたことを言うのか?」

「あぁ、言うね。
 君はどんなに罪を重ねようと、穢れることはないだろうね」

知らず浮かぶ笑みを隠すことなく告げた。
子どもは笑うことを止め再び私を見据えながら、言葉を吐き出した。



「それなら、抉り取ればいい。
 俺は罪人で、アンタは裁く権利を持つ者。
 だから、好きにすればいい」

その言葉に笑ってしまう。
怯えるわけでも怒りを滲ませるわけでもなく、何てことのないようにあっさりと言い放ったから。

「抉り取ってしまってもいいけれど、
 そんなことをすれば、それはただの金の目になってしまうではないか」

少年は意味が理解できないのか、答えることなく私を見ている。

「金の目というのも珍しくていいけれど、私が欲しいのは君が放つその目の光だよ。
 目を抉り取ってしまえば、その光は失われてしまうじゃないか」

その言葉に、少年がちらりと少女の死体に目を移す。



「別に、その薄汚い大人が少女にしたことをする気はないよ」

少年は少女の死体から目を逸らさずに、言葉を吐き出した。

「…別に、するならすればいい。
 大したことじゃない」

「…それなら、どうして少女がされることは許せなかった?」

少年が振り返る。
金の目が、また見据えてくる。


「君がこの屋敷の人間を殺したのは、その少女を助けるためなのだろう?」

「…アンタ、この状況解ってるのか?
 俺が、この少女を殺した」

少年はチラリと少女を一瞥し、再び私に視線を戻す。
変わらず、そこには感情は一切浮かんでいない。



「君は、その少女を助けたのだろう?」

「違う。殺した」

「助けたのだろう?
 君の持つ信念において、それは人殺しではなく救いではなかったのか?
 例え、世間でそれが殺人としか捉えられないとしても、君にとっては違ったのだろう?」

「…アンタ、本当に馬鹿なんだな。
 俺は、アンタの言う信念なんて持っていない。
 少女を殺したのは、俺の自分勝手なエゴでしかない」
 
そう告げながらも、変わらず少年は真っ直ぐに私を見ている。
ガラス玉のような金の目。
透明すぎて、すべてを見透かされそうな。
綺麗な、綺麗な目。



「この乱れた時代に、誰が善悪を下す?
 誰が裁ける?
 殺らなければ、自分が殺られる。
 それなのに、殺せば罪か?」

「…話をすり返るな。
 俺は、生きるためにこいつ等や…彼女を殺したわけじゃない。
 それは、罪でしかない」

少年は、両手を強く握り締めた。
林檎がぐしゃりと半分潰れて、欠片が床に散らばった。

「言っただろ?
 誰も裁けないと。
 そこに転がっている薄汚い大人が死んだ今、この国の事実上のトップは私だよ。
 国王すら、私に逆らえない。
 裁く権利があるとしたら、私以外の誰もいない。
 私には権力があるからね。
 でも、そんなモノをちらつかせての裁きなど、意味があると思うか?
 それに、私も君ぐらいの時には立派な犯罪者だったよ。
 それに今でも、この地位のもとに人を殺している。
 それが犯罪者だろうと、権力者の盾にされただけの哀れな人物だと解っていてもね。 
 ほら。裁くことができるものなど、誰ひとりいない」

「アンタ以外裁く者がいない、と自慢でもしたいのか?」

少年の口元が、皮肉げに持ち上がる。

「そう取ってくれてもいいがね、私はそんなことをする気はないよ。
 君を裁くつもりは一切ない。
 ただ――…」

そこで言葉を区切り、少年を挑発するように見た。
少年は目を閉じ小さく笑った後、、再び見据えながら私の言葉を受け取り続ける。

「裁くつもりはないが、俺の目が欲しい、と?」

「あぁ。よく、解っているな」




一歩、また一歩と、少年に近づく。
少年は、動かない。
もう少しで触れられる、そんな位置についた時、少年が動いた。

風を切って剣を振るい、切先を喉元に突きつけられる。
その拍子に未だに血を流していた剣から血が、服へ頬へと飛び散った。

それを拭うこともせずに、少年を見下ろす。
少年はもう皮肉げに笑ってはいなかった。
感情を伺わせない、それでいて見透かす目で私を見上げる。


「ひとつ、訊きたい」

「なんだね?」

少年は少女を一瞥した後、私に視線を戻し言った。

「神がいるとしたら、なぜ俺らだけ愛してくれない?」

「……さぁ、そんなの私が訊きたいくらいだよ。
 私も愛された覚えはないからね。
 富を知っている者がある日突然最下層に落ち、飢えで死にしそうになるのと、
 最初から飢えと死が隣合せなのとでは、どちらがマシだと君は思う?」

少年はその言葉に俯き、ゆるゆると首を横に振りながら剣を下ろした。

「…神がいるとしたら、誰を愛するんだろうな?」

小さく、小さく少年が呟く。

「神は、自分しか愛さない。
 自分より下を創り、足掻きもがく様を見てやっと安心するのだろうよ」
 
「…神は、いるのか?」

「君は、神を信じるのか?」

少年は、再び首を横に振った。
それは否定のために振っているのではなく、解らないとでも言いたげに。



「神は、いない。
 例えいたとしても、何もしてはくれない」

少年が、強く強く両手を握り締めた。
剣はきしりと音を立て、林檎は今度こそぐしゃりと音を立て砕け散った。

少年の片方の手は血に塗れ、もう片方の手は血と林檎の果汁に塗れていた。
その血と果汁に濡れた手を掬い上げ、口付けた。
鉄臭さと、甘さが口に広がる。
少年は振り払うことなく、俯いたまま。

「神は、何もしてはくれない。
 けれど、私は君にしてあげられることがある」

そう告げても、子どもは俯いたまま。
だから、勝手に言葉を続ける。

「君が私のもとにいる限りは、飢えさせない」

少年はその言葉に反応して触れたままだった手を振り払い、ゆっくりと顔を上げた。
金の目が先ほどとは違い力なく揺れたが、口元には皮肉げに笑う笑みが。

「その代わりに、目を寄越せと?」

「そうだ。『等価交換』だよ。
 支払った代価と同じだけの価値あるモノを交換する。
 存在すらしない神に頼るよりかは、ずっといいと思うがね?」

笑みを浮かべ訊ねれば、少年はにやりと笑った。
それから止めることもできぬ速さで、両目を剣で切った。



「…何をっ」

「『等価交換』って言うのもいいけどな、それは俺が望むモノじゃない。
 俺は何も望まない。けれど、何かを望むとしたら、それはすべてだ。
 1か0以外のモノなど、何もいらない。
 『等価交換』などと言いながら、いつアンタが俺の目に飽きるか解らない。
 その時、俺はどうすればいい?」

閉じられた瞼から赤い血の涙が音も立てず流れ落ちるが、少年は気にすることなく続ける。

「飢えから離れたと思って安心したところで、また飢える最下層に落とされるのか?
 アンタ、言ったよな?
 富を知っている者がある日突然最下層に落ち、飢えで死にしそうになるのと、
 最初から飢えと死が隣合せなのとでは、どちらがマシか、と。
 俺は、後者しか知らない。
 けどアンタは、前者を知っているんだろ?
 それがどんな気持ちなのかは知らないけど、体験する気はさらさらない。
 このままアンタに捕まり死刑となって終わるか、
 アンタが欲した目を失った俺でも欲しいか、俺にはどっちかしかでない。 
 …目を失った俺でもアンタが選ぶなら、俺は何でもアンタに差し出してやるよ」

相当に目が傷むだろうに、少年はそれを一切感じさせずに笑いながら言い放つ。
その姿は少年を初めて目にした時と同じく、綺麗だと思った。

目だけが、綺麗なわけではない。
目は単に、少年の穢れなさを表すひとつでしかない。

この少年自体が、穢れなく綺麗なのだ。




「構わないよ」

その言葉に少年は、嘲るように笑った。
それは自分に対してか、それとも私に対してか…。

「もう、アンタの欲した目はないのに?」

「あぁ、君自身が穢れていないからね。
 この乱れた世で初めて綺麗だと思ったのは、君自身だったようだからね」

そう告げれば、少年は悔しそうに唇を噛み締める。
少年は1か0の選択肢などと言いながら、本当は終わってしまいたかったのかもしれない。
少女を助けられず、その上、手にかけてしまった自分を許せずに。

少年は、恐らく私同様に『綺麗』だと思うモノを見つけ守りたかった。
けれど少年には力がなく、それができなかった。

でも、私は?
少年と同様に『綺麗』だと思うモノを見つけた。
少年と違うのは、それを守りたいと思うのではなく手に入れたいと思ったということ。
そしてその力が、私にはあったというだけ。


振り払われた手を、再び少年に伸ばす。
目が見えていない少年は振り払うことはなく、手は少年の頬へと触れた。
少年は驚くことなくそれを受け止めたまま、小さく呟いた。




「…俺は綺麗なんかじゃない」

「君は、綺麗だよ。
 何をしても…罪を犯し重ねてさも穢れることはないよ」

「…もういい。約束だ。
 アンタに何でも差し出してやる。
 もう目はないけれど、好きにすればいい」

呟きながら少年は赤い血と透明な涙を流した。
その姿はやはり綺麗で、小さな身体を抱き寄せた。

「私も約束しよう。
 決して、君を飢えさせることはしない。
 私が死んでも、君が死ぬまでは絶対に飢えさせることはしないと約束しよう」

赤と透明が混ざり合った涙をそっと拭った。
少年には言うつもりなどないが、この程度の傷ならば治すことなど他愛ない。
けれど、そんなことはしない。

それが、私の約束の誓いだ。
私が望んだものは穢れのない少年の目ではなく、決して穢れることのない少年自身なのだから。




この穢れた下らない時代に、綺麗なモノをみつけた。
それは突然転がり込んで得た実質上の最高位の地位よりも、欲してやまないモノだった。

私が失って久しいモノ。
穢れなき純粋な魂。






04.09.09〜09.13 『The hill of karma.』=カルマの坂。 Back      ポルノの『カルマの坂』があまりに素敵にツボで、歌詞中の“少年”を思いながらロイエド変換。 ファンの方、申し訳ございません(平伏)