ふたりで外で食事をしていると、花売りが道行く人に声をかけているのが目に入った。
彼はその光景を目に映しながら、徐に訊ねてきた。
「鋼の。好きな花は何かね」
「花ねぇ…。
俺あんまり知らないんだよな。
あ、でも、向日葵は好きだ」
「向日葵とは、君らしいね」
その言葉に、少し誇らしくなる。
「だろ?目標に向かって一直線に伸びるんだからな」
「色も似ているしね」
からかう彼を少しだけ睨みながら、まぁな、と答えた。
The flower like a flame.
「アンタは?」
「私かね?」
やっと視線を俺に戻した彼は、ゆったりとした笑みを浮かべた。
「あ、やっぱ言わなくていい。解ったから」
「ほぅ。何だね?」
彼は、面白そうに尋ねてくる。
それに俺も笑いながら答えた。
「薔薇だろ?
しかも、絶対に赤てか、深紅!」
「言い切るけど、違うよ」
彼はさらりと笑顔で否定する。
「嘘だろ?気障ったらしいアンタにはお似合いじゃねぇか」
「…君ね。私を何だと思っているんだい」
「タラシ!」
言い切れば、彼は心底馬鹿にした溜息を吐いた。
「……ご期待に添えなくて悪いけれどね、薔薇じゃないよ」
「嘘!?何で?」
認めたくはないが、彼と薔薇は嫌味なくらいに似合うと思うし、
彼も女受けする薔薇を好きだと思っていた。
それなのに、彼は違うと言う。
「薔薇には棘があるからね」
「棘があっても、花屋で買うんだからアンタには関係ないだろ?」
彼が自ら薔薇を手折る姿は想像できない。
彼は綺麗に整えられた花だけを手に取る、そう思っていたから。
訝しむ視線を投げれば、彼は苦笑する。
「そうだけど、そうじゃないよ」
「は?」
「棘に守らなければならないほど、弱いモノが好きじゃないだけだよ」
言いながら彼はまた、花売りへと視線を移した。
「…解るようで、解らないんだけど」
「自分の身は自分で守るのは当たり前だけど、
何もあそこまで傍目にも解る棘で身を守ろうとしているのが嫌なんだよ」
彼は俺を見ていない。
けれど、花売りの女を見ているわけでもない。
彼の目に映っているのは、花売りの持つ花かご。
色とりどりの花が入っている花かご。
「じゃあ、何が好きなんだよ」
彼のその態度に苛立ちが募る。
怒りを隠すこともせずに問えば、彼はやっと俺を見て笑った。
それは、痛みすら感じてしまうほどの静かな笑みだった。
「曼珠沙華」
彼の笑みに気を取られながらも、花を思い出す。
けれど、思い出したところで、思い浮かぶのはひとつの花。
あの縁起でもない別名を持つ花。
「曼珠沙華?何であんな陰気な花?」
「陰気とは君も失礼だね」
呆れながらそう言う彼には、あの痛みすら覚える笑みは消えている。
だから、俺もいつもの調子を取り戻す。
「そうか?
だって、アレって死人花とか言うじゃねぇか」
「それに、リコリンを含んでいるしね」
楽しそうに付け加える彼に、心底呆れた。
「…アンタ本当に趣味悪いな」
「そうかね?」
こりもせず、彼は心底楽しそうに笑っている。
あの笑みは、見間違いだったに違いない。
そう結論付けて、言葉を続ける。
「当たり前だろ。
リコリンって多量に摂取すれば死ぬじゃねぇか。
そんな花が好きなのかよ」
「そうだよ。
美しいものには、毒がある」
「棘の間違いじゃないのか?」
「毒でいいんだよ」
そう呟き、彼は小さく笑った。
それはさきほど見た笑みと同じモノ。
痛みすら感じてしまう静かな笑み。
「別にただ毒を持ってるからというわけでもないよ。
アレはね、鱗茎の部分が食べられるんだ」
彼は再び俺を見ながら、からかうように言った。
「だから、毒持ってんだろ?食べたら死ぬ」
「リコリンは水に溶けやすい。そんなことも忘れたのかね」
意地の悪い笑みで、彼は馬鹿にする。
「……そんなにしてまで、喰わなくていいじゃねぇか」
「そうだね、曼珠沙華は救荒食糧だから」
呟く彼には、からかう気配も馬鹿にする気配も消えていた。
そして、どこか遠くを見るような目で花売りの花かごへと視線を移す。
「戦地で曼珠沙華が群生しているのを見たよ。
死体が転がる戦地の果てに、曼珠沙華が燃えているように咲き誇っていた。
それなのにその焔は私のとは違い、人を傷つけないんだよ」
淡々と彼は言葉を吐き出す。
その静かさに、言いようのない痛みが胸に走った。
「…アンタ自分の焔が嫌いなのか?」
恐る恐る訊ねれば、彼は俺を見て苦笑した。
「…そういうわけではないけどね。
けれど戦場で疲れきった心に、あの光景は私にとって痛いものでしかなかったよ。
私の生み出した焔が人を焼き尽くしたその騒然とした光景の果てに、
人を傷つけない焔のような曼珠沙華が咲き乱れていた」
彼の言葉から、その光景を想像する。
自分の焔が人を巻き込んで殺したその後に、ただ見守るように焔のような曼珠沙華が揺れている。
――冗談じゃない。
そんな光景、気が狂う。
けれど実際にその光景を見た彼に、
その言葉をそのまま伝えることなどできるわけもなく言葉を濁す。
「それなら、普通嫌いになるんじゃねぇの?」
声が震えた。
けれど彼はそのことには触れず、静かに微笑みながらその言葉を受け止める。
「そうだね。
でも、その曼珠沙華のおかげで私は生き延びたから」
彼はまた俺から目を逸らし、花売りの花かごへと視線を移す。
一体、そのいろとりどりの花に何を見ているというのか。
そんなこと訊けるわけもなく、今訊けることを訊いた。
「何それ?」
「その時の戦況は芳しくなくてね、物資が――食料が届かなかったんだ。
そこで、老兵の一人が曼珠沙華はでん粉を多く含んでいるから食べられる、と言ったんだ。
水によく晒さないと中毒を引き起こし、死に至るから気をつけろ、とも言った。
その言葉に、その場にいた者たちに動揺が走った。
何故だか解るかい?」
訊ねながら、俺を見据える。
彼の問う答えは、すぐに解った。
けれどそれは口にすることがどうしてもできなくて、ただ彼を見つめれば彼はふっと笑った。
「死を、選ぶ者もいたよ。
長引く戦は精神に疲弊をもたらすから、何人か自決した。
不思議だと思わないかい。
それで生き長らえた者もいるというのに、死んだ者もいる。
そんな生死を分けた花なんだよ」
静かに静かに彼は笑う。
けれど、その目に浮かぶのはどうしようもない痛みと哀しみ。
そのことに、彼は気づいているのだろうか。
「…だから、好きなのか」
「そうだね。
私の生み出す焔のような花なのに、何もしない限りそれは人を傷つけない。
けれど手を出せば、人を生かしもするし、殺しもする。
そんな花だからね」
ふと薔薇を思い出した。
薔薇は、棘で自分を守る。
それなら、曼珠沙華の毒は何を守るのか…。
「曼珠沙華の毒は、薔薇の棘とは違うのか?」
「薔薇の棘は、自分を守るためのもの。
けれど曼珠沙華は、毒を持っていたところで誰も傷つけない。
…傷つけないけれどそれ以上の――生死を、手に取った者の意志に委ねる」
そう言いながら静かに笑う彼を見て、後悔しているのか?、と訊きそうになった。
彼はこの先もずっと、曼珠沙華の影に囚われ続けるのだろう。
自分と同じ炎のようなのに、人を傷つけない花。
けれど、近づきすぎれば人の生死を左右する花に。
そして、生を選んでしまったことに…。
そんなのは、辛すぎる。
彼も、彼を見続ける俺自身も。
「それって花を好きな理由というより、単に拘る理由じゃねぇか」
「…そうかも知れないね」
苦笑で彼は答える。
相手を傷つけるだけで、身を守る薔薇。
相手を傷つけないけれど、生死を分けることができる曼珠沙華。
どちらが怖いのだろう。
そんなこと考えるまでもなく曼珠沙華で――
「…っクソ」
悔しくて切なくて…。
「おネェさん、花ちょうだい!
そのかごの中の花全部!かごごと買うから!」
花売りに駆け寄って、有り金全部渡して奪い取る。
それから彼に突き出す。
「やる。全部やる!」
彼は目を見開いて俺を見つめる。
「曼珠沙華なんて、本当は好きじゃないんだろ?
ただ、アンタは拘ってるだけだ。囚われてるだけだ。
そんなの好きとは言わない。
アンタさっきからこのかごを見てた。
いい加減、他も見ろよ…」
最後は泣きそうになって声が掠れた。
情けなくて俯く。
それなのに彼が名を呼ぶから、仕方なく顔を上げた。
「ありがとう」
そう告げてくる彼の顔には柔らかな笑顔が。
けれど、彼の目にある痛みも哀しみも完全には払拭されていない。
いつになれば、彼は曼珠沙華に囚われるのを止めてくれるのだろう。
そんな日は、もしかしたら来ないのかもしれない…。
でも、決めたから。
彼が曼珠沙華に囚われるたびに、
いや、囚われそうになる前に、たくさんの花を彼に見せよう。
それは、単なるその場しのぎにしかならないかもしれない。
でもずっと続ければ、彼は他にも目を向けてくれる日がくるかもしれない。
可能性がある限り、俺は諦めないんだ。
「なぁ、夏になったら向日葵畑に行こう」
突然の申し出に、彼は苦笑する。
「いいじゃん。行こう。
たまにはサボるんじゃなく、ちゃんと休めよ。
日帰りでもいいから」
食い下がれば、彼は了承してくれた。
手始めに、彼と向日葵を見よう。
見渡す限りの金の光。
向日葵と一緒に、太陽を見よう。
そして、そこから始めよう。
04.06.23〜07.08
『The flower like a flame.』=炎のような花。
1万Hitお礼SS。
ネタ元となったアンケートにご協力してくださった方々、本当に有難う御座いました。
曼珠沙華、一体どんな話に発展するのか、と焦りはしましたが、
調べれば調べるほどに、いろいろとオイシイ花でした(笑)
陰鬱な話となってしまいましたが、
アンケートに答えてくださった方々と訪問してくださる方々に捧げます。
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