この目に映ったモノしか、信じない。
けれど、今、この目に映っているものを私は信じられないでいる。
Kiss which shares warmth.
夜更けの公園でふたりの男女が、楽しそうに笑いながらバードキスを繰り返す。
それは微笑ましい光景なのだが、男のほうがあの子どもなのだ。
その傍に、いつもいる弟はいない。
酒など一滴も飲んでいないと言うのに、幻でも見ているようだ。
あまりの光景に、見なかったことにしてその場を去った。
それから、1年。
子どもが東部に来た際には、相変らず似たような光景を目にする。
夜に子どもはひとりで出歩き、見知らぬ誰かとキスを交わす。
相手は老若男女関係なく。
赤子を抱いた母親らしき女性の場合もあれば、その小さな赤子の時もあるし、
壮年の男性の時もあれば、年頃の女性の時もある。
交わすキスは誰であれ、
子どもは一切性的なものを感じさせず、楽しそうにバードキスを繰り返す。
それは猫がじゃれついて、互いに顔を舐めあっている、そんな微笑ましい光景。
――けれど、どこか奇妙な光景。
違和感を感じながらも、微笑ましい光景を止める理由を持っていない。
だから、その場に出くわしても見ないふりを繰り返すのだが、それが最近困難になってきた。
子どものキスがバードキスから、深いものへと変わったために。
それが、ただひとりの相手だと言うのならば、口出しするつもりもない。
けれど、子どもはバードキスをしていた時のように、老若男女構わず繰り返すのだ。
そこから伺える雰囲気は、あのじゃれつくようなものは一切消え、
性的なものが垣間見えるものへと変わった。
それは暫くすれば、
キスだけに留まらず、身体の結びつきへと変わってだろうと予感させた。
流石にそれはまずかろうと、子どもひとりを呼び出す。
貴重資料を読んでいた最中に呼び出された子どもは、すこぶる機嫌が悪い。
不機嫌そのままの目つきで睨み上げてくる。
そんな視線を受け止めながらも、切り出し口を見つけられないでいると、
あからさまに怒気を孕んだ声がした。
「大佐、用があるなら早く言ってくんない?
俺、忙しいんだけど」
言えるものなら、さっさと言っているというのに…。
溜息を零しながら、とりあえず座るように示す。
子どもは小さく舌打ちしながらも、目の前のソファへと座る。
「で、何?」
子どもは諦めたのか、ゆったりと足を組みながら訊いてくる。
それを見てこちらも諦め、余計なことだと知りながらも忠告を言葉にする。
「君が私生活で何をしようと勝手だがね、
あまりに乱れすぎていると、流石に目に余るのだよ」
言われている内容が解ったからか、眉間に皺を寄せながらも続きを促す。
「バードキスくらいなら誰としてもいいけれど、深いキスは誰とでもするものじゃないと思うよ」
告げれば、馬鹿にしたように子どもが笑う。
「アンタにその言葉そのまま返してやろうか?」
「…私は美しい女性限定だよ。
君みたいに、老若男女構わずにしているワケではない」
子どもは、楽しそうに笑いながら答える。
「別に誰彼構わずやってるわけじゃないぜ。
その証拠に、赤ん坊には未だにバードキスだけだ」
「…そう言うことじゃないよ」
溜息混じりに答えれば、不満そうな声が返ってくる。
「じゃあ、何?」
「バードキスくらいなら可愛いものだけど、
君はそのうち身体まで投げ出しそうだと言っているんだよ」
「…それが、大佐に関係あるの?」
「…ないね」
「だったら、いいじゃん。
でも、もう東部では誰ともキスをしない。
犬猫で我慢してやる。
それなら、問題ないだろ」
言い放ち、子どもは席を立つ。
赤いコートを翻し帰ろうとするその腕を掴む。
子どもが不機嫌を隠そうともせず、睨みつけてくる。
けれど、そんなものは無視して言葉を続ける。
「鋼の、そんなにキスがしたいのかね?」
犬猫で我慢する、と子どもは言った。
そこまでして、子どもはキスがしたいのだろうか。
「したいね」
子どもは射抜くような眼差しを寄越しながら答える。
「理由は?」
「何でアンタに言わなきゃならないんだ」
最もなことを言われたが、それでも理由は知りたい。
「上司命令だ」
子どもは目を見開き、嘲笑を浮かべた。
「くだらないことに上司命令なんて使うなよ」
「聞こえなかったのか?上司命令だよ、鋼の」
子どもは悔しさのあまりか、唇をぎりぎりと噛み締める。
けれど、もう一度名を呼べば諦めたように呟いた。
射抜きそうになる視線はそのままで。
「あったかいからだよ」
「何が?」
「キスが」
恐らく本心であろう言葉を平然と子どもは放つ。
その言葉に、一瞬頭が白く染まった。
「…君のその理由からすれば、そのうち本当に身体も開きそうだな」
温かいからキスをすると言うのならば、
キス以上にぬくもりを分け合う行為を子どもは簡単にしそうだった。
その考えは正しかったようで、子どもは笑って答える。
「そうだな。
今のキスじゃ足りなくなったら、きっとそうするだろうよ」
笑って15の子どもが言い放つ。
「…どうして、そんなにぬくもりに拘る?」
問いながら、しまった、と後悔したがそれはもう遅く、子どもは静かな嘲笑を浮かべた。
それは、愚かな私の質問を嘲笑ったのか、それともぬくもりに拘る自分自身を嘲笑ったのか…。
「人の体温を感じたいから。
アルの身体は熱をもたない。
俺の身体も半分は、熱をもたない。
他人と触れ合えば、熱を感じる。
他人の熱も、俺の熱も、互いが引き出す熱も。
――だからだよ」
射抜くような眼差しは、もう見えない。
ただ、揺れる金の目がそこにある。
「…手、離せよ」
俯きながら言う子どもを無視して、小さなその身体を抱き寄せる。
予想できない行動のためか、子どもはよろめき椅子に座る私のもとに倒れこんだ。
その身体を強く抱きしめる。
「…離せよ」
腕を突っ張り離れようとする子どもを、強く抱きとめ胸に浮かぶ感情の名を探す。
この感情は、何と言うのだろうか。
はっきりと言えるのは、恋情ではないということ。
同情なのかもしれない。
それでも、今抱きとめる力を緩める気はいっこうに起こらない。
「離せって…」
呟く子どもの腕も、今はもう押し返そうとしてこない。
子どもは、ぬくもりに飢えているからだ。
子どもが拒絶できないと解っているため、さらに抱きしめる力を加える。
「…鋼の」
名を呼べば、金の目が見上げてくる。
綺麗な、綺麗な金の目。
「…何?」
問うてくる唇は、赤く小さい。
その唇に、キスを落とす。
触れるだけのキスを繰り返す。
子どもは拒むことなく、それを受け止める。
何度もバードキスを繰り返したあと、最後に軽く音を立ててキスをした。
「東部にいる間、ぬくもりが欲しくなったら来なさい。
私が、キスをしてあげよう」
笑って言えば、子どもも笑った。
「アンタ、綺麗な女としかしないんじゃないの?」
「いいんだよ。君は特別だから」
「ま、犬猫よりは人間のがマシだからな。
こっちにいる間は、大佐で我慢してやるよ」
楽しそうに子どもは笑い、今度こそ本当にコートを翻し帰っていった。
それを止めることはしなかった。
東部にいる間、彼の相手は私だけ。
それも、キス以上はきっとしないだろう。
けれど、東部を一歩離れれば、
彼は私の知らぬ相手とキスを交わし、それ以上の行為をするのかもしれない。
だが、それを思っても別段何も思わない。
東部にいる間だけは、私のもとへ来る、それだけで心は満たされる。
この感情を何と言うのだろう。
恋情ではない。
けれど、同情でもない気がした。
子どもとキスを交わすうちに、名前が見つかるかもしれない。
それならば、ただその時を待っていればいい。
今は交わした約束以外には、何もいらない。
04.06.15
『Kiss which shares warmth.』=ぬくもりを分かち合うキス。
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