「…佐、……大佐」
呼ぶ声が聴こえ目を開ければ、
暗がりの中、心配そうな顔をして子どもが覗き込んでいる。
「…どうした?」
声を返したことに、子どもはほっと息を吐く。
「うなされてたから…。
嫌な夢でも見てたのか?」
子どもの手が伸び、目元に触れた。
何、と視線で問えば、涙、と小さく子どもが呟いた。
The highest priority.
子どもを腕の中に抱きとめる。
子どもは何も言わずに、心配そうな視線を向けてくる。
それを安心させるように微笑みながらも、それとは逆の言葉を紡ぎだす。
「君の夢を見た」
「俺の?」
不思議そうに、金の目が見つめてくる。
「そう君の。
…赤いコートを翻し、君が去っていく夢を。
君は、君のコートと同じ色をした戦場に向かった。
誰の血とも解らぬ血をそのコートに染み付かせながら、それでも君は前へ前へと進んでいった。
後ろを振り返ることなく。
…私を、振り返ることなく」
「…それで?」
恐る恐る子どもが、訊いてくる。
不安を紛らわすためか、ぎゅっと夜着の胸元を握られる。
安心させるように金の髪を梳きながらも、続く言葉はやはり逆のもの。
「君は彼方遠くへ消えてしまったよ。
最後まで私を見ることなく、私のもとから消えてしまったよ」
金の目が、かげる。
「…戦争は…戦争は、どうなったんだ?」
それでも、視線を逸らすことなく子どもは訊いてくる。
「君が歩くたびに死体の山ができ、それを見て兵士は恐れ逃げ惑い、
君が消え去る時には、戦争は終わっていたよ」
「そっか…」
子どもは、安心したように呟きながら笑みを零す。
「何を笑っている?」
「それなら、アンタは哀しくないだろ?」
子どもは、明るく笑いながら理解できぬ言葉を言い放つ。
「どうして?」
「アンタ、戦争を終わらせるために上を狙っているんだろ?」
笑って問うてくる子ども。
続く言葉が想像できて、答えを返せない。
そんな想いを解ってはくれぬ子どもは、笑って想像できた聞きたくない言葉を続ける。
「俺がその手助けできたのなら、たとえそれが夢でも嬉しい」
そんな言葉など、聞きたくないというのに。
「…例え夢でも、私は君が去っていく後ろ姿など見たくはないよ」
「でも、戦争は終わったんだろ?
それなら、いいんだよ」
子どもは笑いながら、無邪気に残酷な言葉を紡いだ。
子どもは、自身が私の中で一番にならないことを知っている。
子どもだけでなく、そのことを私自身も知っている。
けれどそれを目の当たりにして、胸に感じるのは言いようのない虚しさ。
それなのに、優先順位を変えることはできない。
夢が、いつか来る未来に思えた。
「君は、いつか私のもとを去っていくのだね」
溜息混じりに呟いても、子どもは柔らかく笑みながら聞きたくない言葉を紡ぎだす。
「それが、アンタのためになるならね」
「君がいなくなれば、私は寂しいよ」
縋るように言葉を続ける。
どんなに言葉を重ねても、優先順位が変わることはなく、
それが変わらない限り子どもの考えも変わらないと知っているのに。
その想いを断ち切るためにか、子どもは苦笑しながらも言い切った。
「でも、生きていけないことはないだろ」
言葉が、何も浮かばない。
今、自分はどんな顔をしているのだろうか。
泣きたいような、笑いたいような、そんな感情が出口が解らぬまま胸を占める。
答えがないことを肯定、と取った子どもが、静かに笑う。
「だから、大丈夫」
「……君は、強いね」
何とか吐き出せた言葉は、それだった。
それ以外に、何を言えたのだろうか。
複雑な思いで子どもを見つめれば、安心させるように微笑む。
いつもと立場が逆だ。
「知ってるからな」
「何をだね?」
「すべての事柄の中では、アンタの優先順位の一番にはなれないけれど、
すべての人の中では、俺が一番、ということを知ってるから」
その言葉に、いささか驚く。
「君の中で、私は一番かい?」
問えば、子どもは照れながら頷く。
「一番だよ」
「…優先順位は?」
自分ではないと知りながらも、それでも訊いてしまう。
それに、子どもは笑って答えた。
「一番だよ。
アルの身体は戻ったからな」
「…自分の手足は?」
子どもの手足は、まだ機械鎧のまま。
弟の身体を取り戻した時点で、使った偽物の賢者の石が砕け散ったから。
子どもは言いにくそうに、上目遣いになりながら呟いた。
「…三番目」
「…それでは、二番目は?」
苦笑しながら、子どもは答える。
「俺の意思。
アンタを思う、俺の意思」
胸に、喜びと痛みが走った。
子ども自身の意思より重いとされた喜びと、それに応えることができないための痛み。
「私は、君の意志より重いのかい?」
酷く柔らかな声がでた。
それに、子どもは満面の笑みで返す。
「そう。
だから、アンタのためになるなら、俺は去っていくよ?」
そんな笑みを向けてきながらも、子どもは酷い言葉を紡ぐ。
けれど、それを追求などできなくて、力なく問うた。
「私の意志を無視しても?」
「アンタの優先順位を最優先にしての考えてだからな。
アンタの意思は、二の次」
「…酷いな」
力なく呟けば子どもは笑むのを止め、射抜くような強い視線を向けてくる。
「うん、でも――
そうでないと去れないから」
「去る必要はないと思うのだがね」
子どもは眼差しを和らげ、静かに笑った。
「いつか、俺はアンタの邪魔になるよ。
それなら、アンタの役にたって去りたいんだ」
「酷いね」
「悪いな。
…その時がきても言えないかも知れないから、今言っておく。
――ごめん」
「……できれば、二度と訊きたくない言葉だよ」
数瞬の沈黙の後、やっとの言葉で言えたのはそれだった。
覚悟を決めている目を見て、他に何が言えたというのか。
止めることも考え直せと諭すことも、何も言えなかった。
子どもはその言葉を受けもう一度、ごめん、と呟きながらも静かに笑った。
04.06.14
『The highest priority.』→最優先事項。
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